「ん……?」 眩しい光が目にしみて、脳が覚醒した。 現状を把握しよう。 ここは自室。そして……目覚まし時計は、何故か止まっている。 「ぎゃああ寝坊したああああ!」 今日は日曜日だから、朝から祓魔塾の授業があったのに! そして、1限目の授業担当は、何を隠そう私なのに! 慌てて飛び起きる。教師が遅刻だなんて、許されるのは漫画の中だけのお話だ。 「うるさいですね。なんですか急に」 そんな私を邪魔するように、ふかふかの布団からにゅっと伸びてきた白い手が腕を掴んでくる。 もう1つ思い出したことがあった。ここは私の自室だけれど、私1人ではない。 そして多分、この部屋にいるもう1人が、目覚まし時計を止めたに違いない。 「それどころじゃ! ないんですよ! 授業始まる!」 「授業? そんなもの、教える側の教師が遅刻したら始まらないでしょう」 すぐ横で寝ていた、変な柄の浴衣を着ている男―――メフィスト・フェレスが苦情の声を上げるけれど、全力で無視する。すべての元凶は、こいつだというのに。 昨晩、この男は、授業のためのプリント作り(「燐でもわかるようなレベルにしてほしい」という難題を言われているのだ……)がやっと終わって、「さぁて寝よう!」と立ち上がった私の部屋に、『鍵』を使って勝手に入り込んできたのだ。 突然のことに驚いていると、ベッドにあっさりと突き飛ばされて。 急な展開についていけず、頭にはてなマークを浮かべている私の耳元で「久しぶりに逢いたくなりましてね」と嘯くと、そのまま圧し掛かってきた。 あっさりワイシャツのボタンを外してきて、あとはそのまま。あれよあれよと言う間に流され……。 ―――そして、今に至る。 「そのはずなんですけどねぇ。この間遅刻したとき、奥村先生にこっぴどく怒られたんですよ」 急ピッチで着替えをしながら、返答する。この男は、会話を放置すると機嫌が悪くなるののだ。 奥村先生に怒られた直接の原因は、お説教の最中に欠伸をかみ殺していたのがばれたから。 『あんなめんどくさい人のお世話も大変でしょうが、聖職者として、そして祓魔師として、もう少ししっかりしたらどうですか』なーんて言われてしまった。 なんで隠しているはずの私たちの関係を知ってるんだとか、一応とはいえ彼は上司なのにお世話扱いなのかとか、言いたいことはいっぱいあったけれど、彼ら双子が悪魔と人間のハーフであることを思い出し、彼なりに心配してくれているのだ、と自分に言い聞かせて「以後気をつけます」と粛々と微笑んでやった。 心の中で、クソガキが! と思っていたことは内緒である。 「あああああああもううう」 シャワー浴びたかったのに、そんな暇もない。腰も痛いし頭も痛いし、睡眠不足でふらふらだ。 しかも、こういう時に限って着ようと思って昨晩置いておいたブラウスがない。というか、こいつがどこかにやったとしか思えない。 ぎりっと睨んでやると、心を読んだのかメフィストがこちらを向いた。 「なんですか。私じゃないですよ☆」 「あんたじゃなけりゃ誰だっていうんだ、この水玉ピンク野郎が!」 この期に及んで言い訳ですか! あちこち跳ねている髪の毛を梳かしながら憤るも、当のご本人様は我関せずである。あーもう、苛々している私の方が馬鹿らしくなってきた。 寝ぐせが直る気がしなかったので、普段は下ろしたままの髪をポニーテールに結ってごまかすことにする。えっと、ヘアゴム何処に仕舞ったっけ。 「失礼な。疑うんですか?」 「はいダウト! しれっと嘘ついてんなよこの悪魔が! ……その枕に敷いてるのはなんですか!? 枕カバーじゃないだろ、それ私のブラウス!」 びしっと人差し指を突き付けて指摘してやると、にやりと憎たらしく笑って「やれやれ」と大げさに溜息を吐かれた。 服を脱がせるのはいいけども(もう慣れっこなのだ……)、もう少し気を使ってほしい。自分が、何枚私の下着を犠牲にしてきたのか自覚してくれないものか。 昨晩も、タイツを破かれたばかりだ。 まぁ、久しぶりに会ったのは事実だし、なんとなくムラムラしていたのも事実だし、雰囲気に乗せられた私も私だから、何も言わない(言えない)けれど。 「いつも思うんですけど、貴女はもう少し、私が上司であることを理解し、」 「うっさいわハゲ!」 ああ、襟がしわしわになっている……。これは今日着ていけない。 洗濯機に放りこんで、箪笥から新しい服を取り出す。めんどくさいので、もうキャミソールでいいかな、いいよね。 「失礼な。私はまだ禿げてませんよ!」 ぎゃーぎゃー喚くこの男が、この学園で一番偉い学園長様で、なおかつ正十字騎士團日本支部長と言うのが信じられない。 そんな男と、ただの祓魔師で教師である自分が『こういう』関係にあるということも信じられない。 そんなことを思いながら頭からキャミソールを被ったあたりで、肩口の上になにやら痛みを感じた。 「痛! ってあんた何してんですかあああ!」 「いやあ、背中が何やら無防備だったもので、つい☆」 思わず振り返ると、私の腕の付け根辺りにメフィストの顔があり、なんと噛みついているではないか。 つい、とかいうレベルじゃない! 「……っ、ぁ」 うっすらと滲み出た血を舐め取るように舌を這わせられて、うっかり変な気分になってしまう。って、違う!!! なに朝から盛ってるんだ私! 満足したのか、やっと離れてくれたメフィストを追いやって合わせ鏡で確認してみると、くっきりついた歯形が目に入った。 「えええええー」 これは、ファンデーションとかで隠せる範疇を超えているわ! これから夏で暑くなるというのに、しばらく私は肌の露出を控えないといけなくなったらしい。 「これなら余計な虫がつかないでしょう」 「? 蚊には刺されますよ?」 祓魔師の制服でもあるコートを着てさえしまえば、脱がなければ。人目にはつかないだろうし見えることもないだろうけど、あれ、意外に暑いのだ。 ただでさえ、太もも辺りに複数の痕(ごにょごにょ……)を付けられているせいで、タイツ履かざるを得ないのに。 暑いと汗をかく。汗をかくと蚊が寄ってくる。 まるで負の連鎖だ。考えるだけでも気が滅入る。 「そういう意味ではないんですけどねぇ。まぁいいでしょう」 「はぁ……?」 首を捻っていると、メフィストがコートの前ボタンを閉めてくれた。 「自分で出来ますけど!」と憤慨すれば、戯れに口づけてくる。そんなこの男に、私は何度騙されたことだろう。 「はいはい、行ってらっしゃい」 ぽん、と背中を押される。 「……だったら教室までの鍵貸して下さいよ」 「残念ですが、それは出来ない相談です」 そしてまた、私はこの男に騙され続けるのだろう。 ++++ 走ったけれど、完璧遅刻だった。 全速力で走るつもりで、捲れても見えないようにとキュロットスカートを履いてきたのに、そんなものはお構いなしで遅刻だった。 「おはようございます!」 教室の扉の前で大きく深呼吸してから、スパーンと勢いよく扉をあけると、生徒たちが一斉にこちらを見た。 ついでに、壇上にいた人影もこちらを向いた。 その見慣れた背格好に、思わず背筋に厭な汗が走る。 「おはようございます、先生」 にっこり。 そんな形容詞がつきそうなほど不自然に笑みを浮かべた壇上の人物―――奥村先生と目があった。 「ひ、」 私よりも遙かに年下なのに、何だこの威圧感は。何だこの黒いオーラは。一体どこから出てきているんだ。 目は口ほどにものをいうとは、まさにこのこと。視線が雄弁に物語っている。『この間、注意しましたよね?』と。 「あ、はは。おはようございま、す……」 もう乾いた笑いしか出てこない。 やばい、この子怖い。 魔神の仔として、みんなから恐れられている兄の燐よりもはるかに怖い。 「もう出席は取ってありますから。早く授業始めてください」 そう言いながら、出席簿や成績などが挟まったファイルを渡される。 「うう、はーい……」 しょんぼり肩を落として、反省のポーズだけでも見せておく。 歴代最年少祓魔師であり、対・悪魔薬学の天才とも称される目の前の少年とは、誠にそりが合わないのだ。 私が落ちこぼれだったからかもしれないけれど。毎回ぎりぎりの成績だったもんなぁ。 「みんな、頑張ってね。特に奥村くん」と言いながら、爽やかに教室を出ていく奥村先生を横目に見てほっと胸を撫で下ろす。危機は去った。 「せんせー、今日髪形違うんねぇ。かわええなぁ」 「単に寝ぐせが直らなかっただけよ。はーい、授業始めまーす」 相変わらずなことを言うピンク頭(脳内的と髪の毛的の両方で)の志摩くんを軽く交わして、生徒指導用のファイルを開く。 と、起きぬけの目にはきつい蛍光イエローの付箋が1枚貼られていた。 「……?」 覚えのないその付箋に首を捻るばかり。 なんだろう、と思いよくよく見てみると、小さな文字で何か書いてあった。筆跡から見て、奥村先生からのメモだろう。 『他人の恋愛にどうこうは言いませんが、大人として避妊はしてくださいね』 「ぶっ!」 思わず吹き出した。 「なに書いとんじゃ、あんのクソガキいいいいいいい!」 あくまでダーリン! 「先生? 授業をお願いしますね?」 「は、はい……」 ガラリと扉が開いて、再び顔を覗かせた奥村先生に、私の寿命10年くらい縮んだのは言うまでもない。 あくまでシリーズ第一弾。 第一弾ってことは続くんだと思うよ。予定では続くんだよ。 メフィストは、ちゃんとヒロインのこと好きなんだけど、そのことに全然気付いてないヒロイン。騙されてると思ってる。 雪男せんせーが出張って来たのは複線です。次回は雪男のターンだ! |