「ししょーう!」



ボロボロのFクラスに元気な声が響き、同時に教室の扉(これまたボロボロ)が勢いよく開かれた。



「師匠に聞きたいことが! ……ってなーんだ。いないのか」



きょろきょろと教室内を見渡しながら残念そうに呟くその子の名前は、さんという。Dクラス所属だけど、国語だけならAクラス並みとの噂の女の子だ。
このさん、「…………最近、写真の売れ筋が読めない」と嘆いたムッツリーニが何かの参考になるかもしれない、とスカウトして来たらしい。姫路さんよりも小柄で、でも俊敏さは雄二を遥かに凌ぐ身体能力な上、中学時代に写真部だった(今は、秀吉と同じで演劇部だけど)とかで、写真の腕も結構な技術があるという。
確かに、この間買ったさんが撮ったという秀吉の写真は、すごく綺麗だったっけ。
ムッツリーニは「…………盗撮はあまり上手くない。まだまだ修業が必要なレベル」と言っていたけど、もう充分なんじゃないだろうか。
それに、さんの写真は、盗撮にはない良さがあると僕―――吉井明久は思っている。






「あ、おはようございますちゃん」



そんなことを考えながら、僕がFFF団のメンバーに紛れて雄二を半殺しの刑(またの名を、霧島さんと仲良く登校した罰)に処していると、姫路さんがやって来てさんに声をかけた。



「おはよう瑞希ちゃん! ね、瑞希ちゃんにこれあげるー!」
「? なんですか、これ?」



そう言って、こそこそと何かを手渡している。2人とも1年生の時は同じクラスだったから、きっとその頃からの付き合いなんだろう。



「こ、これは……!」
「うっふふ! すごいでしょ? 欲しい?」
「欲しいです! おいくらですか!」



何やら怪しい取引をしている様子。ああ流石、ムッツリーニの弟子だけはあるなぁ。



「お金はいらないよー。その代わり……」



そう言ってさんが差し出したあれは……猫耳のカチューシャ?



「昨日ね、ゲームセンターで取ったんだけど、付けて写真撮らせてくれないー?」
「わかりました! 男同様、女にも二言はありません!」



すちゃっ、と斑模様の猫耳を装着した姫路さんが、あぁ激しいフラッシュで見えない。確かに、写真の腕はムッツリーニと同等だ……!



「やーん! かわいいかわいい!」



そう言って、きゃっきゃとはしゃぐ2人を、FFF団のメンバーが血涙を流しながら見ている。多分、みんな心の中で「後で絶対あの写真買う!」って思ってるんだろう(僕も含め)。
そう。実は、さんの写真は、ムッツリーニと違って盗撮じゃない。真正面から直球で「撮らせて!」と迫って行くのだ(注意:ただし、相手の弱みを握って迫ってくる)。
ムッツリーニ直伝の、『気配を消す特訓』とか『鋭い嗅覚』とかも鍛えているらしいけれど、いらないんじゃないかとさえ思う。



「おはよー……って瑞希に? なにしてるの?」
「あ、おはようございます美波ちゃん」
「おはよー! ね、美波ちゃんも付けて付けて!」



少し遅れて登校してきたのは美波だ。
美波もさんと仲がいい。たまに国語を教えてもらったりしているのも見かけるし。……まぁ、どうやらその代償に写真を撮られているみたいだけど。



「う、ウチはいやよ!」
「そっか、それは残念だなぁ。……お礼にこれあげようと思ってたのに」



全力で拒否した美波に、さんがにやりと悪い顔で笑って、ちらりと1枚の写真を見せた。



「やっぱりその話乗ったわ!」



その瞬間に態度が一変した美波。え、一体どんな写真なの!?



「『アキちゃん』のためなら喜んでやるわよ!」

え? 今、美波さんは何とおっしゃいました?
そういえば、この間お金がなくて写真が買えないって言った僕に、「吉井くんが女性物のスーツ来てくれたら、これタダであげちゃう☆」って言われたけど……。写真の誘惑(メイド服の秀吉とセーラー服の姫路さんと美波の写真だった)に負けて結局要求を呑んだけど、あれって。



「大当たりだよ、吉井くん!」



びしっと親指を立てて、元気よく言ってくる。当たっても全然嬉しくないし、むしろ、



「僕の心の中を勝手に読まないでよさん!」



なんで僕の考えていることが分かったんだ!
しかし、そんな僕の戯言もどこ吹く風。色違い色違いー! と言って、美波の頭に黒い猫耳を乗せ、再びカメラを構えている。



『俺、あとであの2人の写真+アキちゃんの写真をセットで1ダースは買うぞ!』
『俺も!』『俺も買うさ!』『俺だって!』



FFF団の背後のオーラが怖い。
そういえば、「アキちゃんの写真は高く売れるのよ! ありがとう吉井くん!」って言われたなぁ。あれはこのことだったのか……。そろそろ僕の貞操が危ない気がしなくもない。
そのとき、



「むっ、不穏な空気!」



それまで写真を撮るのに専念していたさんが素早く動いた。



「そうはさせませんよ、師匠!」



そのまま姫路さんと美波を盾に、その背後に隠れてしまう。



「え? なに?」



何事かと視線の先を見れば、いつの間にいたのかベランダでムッツリーニがカメラを構えていた。



「…………ちっ」



舌打ちをすると、忍者のような動きでまた消えていくムッツリーニ。



「? どうしたんですか? ちゃん」
、何かあったの?」



突然のさんの奇行に、姫路さんと美波が尋ねる。でも、さんは、「ううん、何でもないの!」と微笑んだきり、何も言わなかった。
うーん、一体なんだったんだろうか?







その次の休み時間―――



「お姉様に近づく豚は殺します!」
「ひィ!」



トイレに行こうと廊下に出た僕は、うっかり清水さんに襲撃されていた。



「コロスコロスコロスコロス……!」
「ちょっと、勘弁してよ!」



逃げまどう僕。だけど、そろそろ尿意が限界だよ……!



「みーはーるちゃん!」
「コロ……あら、さん。なんですの?」



そんなとき、タイミング良く声をかけられ、清水さんの攻撃が止んだ。声をかけたさんが、僕に向かってウインクする。どうやら、このすきに逃げろということらしい。



「美春ちゃんにプレゼントがあるの。……はいこれ!」
「っ! こ、これは猫耳をつけたお姉さまの写真! こんなもの、美春だって撮れなかったのに! 悔しいですわ!」



プレゼントとは、どうやら朝撮っていた写真のようだ。
「どう? 欲しい?」と楽しそうに聞くさん。そりゃあ、清水さんが欲しくわけないがないだろうに。



「全部買わせていただきますわ!」
「ホント? じゃあおまけしてちょっと安くしとくね! その代わりと言っちゃなんだけど、写真を一枚いいかしら?」
「ええもう喜んで! 一枚と言わず何枚でも!」



嬉しそうに幸せそうに写真に頬ずりをする清水さんには、言葉が耳に届いていないみたいだ。さんは、清水さんのそんな様子を大量にファインダーに収めていた。それはもう、僕がトイレに行ってそして戻って来るまでの間、ずっと。



「…………



ようやく被写体(つまり、清水さん)がいなくなって、さんがデジカメを丁寧に仕舞ったころ、ムッツリーニが姿を見せた。



「なんですか師匠?」
「…………その写真は売れる見込みがない」



まぁ、清水さんだからね……。一部の(変な性癖の)人以外には売れないかもしれない。
ムッツリーニも、売れ行きや売れ筋をさんに教えたりと、一応はちゃんと師匠らしいこともしているようだ。今まで一度も見たことがなかったから知らなかった。



「あ、違います。これは、ラ・ペディスの店長に売りつけるんですよぅ。高く買ってくれますからね!」



そのお金でカメラを新調出来ますね〜! と喜んでいる。うーん、計算高いなぁ。
確かに、娘の清水さんを溺愛しているあの喫茶店の店長なら、高額で買い取ってくれるだろう。そのお金で高画質なデジカメを買うのも、多分余裕だ。



「ってことで師匠! 今週末、電気屋さんにデジカメを見に行きましょう!」
「…………了解した」
「うふふ! これなら高画質で高クオリティなアキちゃんが撮れて、さらに高収入GETですね〜」



……なるほど。これは。



プルルルル、ガチャ。
『はいもしもし須川です』
「あ、須川くん? 吉井だけど」
『? どうした?』
「今週末にね、ムッツリーニがさんと電気屋さんにデートに行くらしいよ」
『な、なにィ! みんな聞いたか?』
『おう!』『ばっちり聞いたぞ!』『ムッツリ商会には日頃お世話になっているが、だからと言ってヤツだけ許すわけにはいかねぇ!』『当たり前だ!』



ピッとボタンを押して、電話を切る。これで、ムッツリーニの命はないだろう。これも、いつも僕の女装姿を撮って大枚を稼いでいる罰だ! 僕もFFF団に戻って、あのドスケベを抹殺しなければ。
と、その前にもっと大事なことがあった。
来週までに(女装をさせられる前に逃げるため)足を鍛えておかなくちゃ。







「あ、翔子ちゃん!」
「……。この間はいい写真をありがとう」



ズタボロになっていた僕の耳に、そんな会話が聞こえてきた。
さっきまで、僕が告げ口をしたように『女の子とデートの罰』でムッツリーニを処刑していたFFF団だったが、教室に入って来たさんに一言、「師匠とお買い物に行くのは、皆さんのお写真のためですよ? そんなこと言う人には……もう売ってあげませんからっ」と涙目+上目づかいで言われ、ほだされたのだ。
さんがムッツリーニなんかとデートするはずがないよな!』『さんほどの人がなァ!』『もっと他にいい人がいますよね! 例えば俺とか!』『んなわけねぇだろ、お前鏡見てこいよ』『なんだと!?』『ところで、こんな偽情報持ってきた奴誰だよ?』
「「―――ああ、吉井(バカ)か!」」
と言った感じで、結局行き所のない怒りは「嘘の情報を持ってきた吉井が悪い」となった。うう、いつものこととはいえ、横暴だ!



「どういたしまして! また欲しいものある?」



今度のさんの取引相手は、どうやら霧島さんらしい。
霧島さんも、最近はムッツリ商会のお得意様だともっぱらの噂だもんなぁ。お嬢様だから、一度に買っていく金額も(貧乏な僕とは違って)多いと聞く。



「……うん、ある。雄二のトイレでの写真が欲しい」
「それは……」



霧島さんそんなものどうするの!? ほら、さすがにさんもドン引きしているよ!?



「女の私じゃ撮るの無理だから、師匠に頼んでみるね」
「と思ったら違ったぁー!」



それは予想してない返しだったよ! まさかの流れだったよ!



「あれ、吉井くん。覗きかしら?」



思わず突っ込みを入れてしまったため、気づかれてしまった。



「違うよ! た、たまたまここを通っただけで……」
「ふーん、そう。なら、美波ちゃんや瑞希ちゃんにはこのこと言わないであげるねー」



そんなことを言われたら! 僕が覗きをしていた、なんてことを知ったらあの2人のことだ、何をしてくるかわかったもんじゃない!



「あ、ありがとう……」
「うん。でも、さっき美春ちゃんから助けた借りは返してもらうからね?」



今度は、ミニスカポリスでの撮影会なんてどう? とか言われた。もう僕のHPは残り僅かだよ……。



「……雄二のミニスカポリスも欲しい」
「それは目の毒だよ!?」



本当にもう、この子は雄二のこととなると盲目だな! こんなに愛されてるんだから、雄二も早く霧島さんとくっ付いちゃえばいいのに。



「……じゃあ、土屋に頼んでおいて」
「了解ですとも! ミニスカポリスとトイレの写真ね!」



さんもそこで了解しちゃうあたり、完璧にムッツリーニに毒されていると思う。というか、女の子が真昼間からそんなハレンチなことを大声で言ってはいけません!
しかし、僕も健全な男子高校生。手を振って霧島さんと別れ、教室に向かおうとするさんに、「秀吉のミニスカポリスも欲しい」とこっそり耳打ちすることは忘れない。



「吉井くんも大概だね……」



呆れたように言われてしまった。っていうか、タイガイってどういう意味なんだろう?
尋ねようと思ったそのとき、



「む、師匠の気配が!」



そう言って、さんがしゅばっと姿を消した。その後、僕のすぐ横を一陣の風が通り抜ける。



「え? え?」



わからない語句と、急に消えた謎で混乱しながらも辺りを見回すと……いた。あそこだ。
さんは数メートル後ろの廊下の隅の方で、カメラを構えたムッツリーニに追いやられていた。さっき僕の横をすり抜けていったのは、どうやらあのスケベだったらしい。なぜか、師弟でじりじりと睨み合っている。
と、2人が動いた。しかし、弟子の方がほんの一瞬だけ素早かったようで。



「師匠、その手は喰いませんよ!」



ムッツリーニがポケットから飛び道具を取り出すよりも先に、さんが廊下を強く蹴った。上履きがきゅきゅっという音をたてる。
そのまま鉄人も真っ青な速さで逃げ出すと、飛んでくるシャーペンや定規を華麗にかわして、僕の背後に逃げ込んできた。見事に避けられたそれらの文具は、当然のように全て僕に当たる。



「…………チッ」



小さく忌々しげに舌打ちをするムッツリーニ。
いやいや、自分が投げたものが僕に当たったんだから、謝ってくれよ!



「ところで、さっきからムッツリーニは何してるの?」



床に落ちた文房具を拾いながら尋ねる。謝罪の言葉はもう諦めた。



「…………の写真を撮ろうとしてる」



ん? どういうこと?



「…………撮らせてもらえない」
「それは、盗撮でも?」
「…………(コクコク)」



ムッツリーニ程の(盗撮の腕を持った)人が撮れないなんて一体どんな技を使っているのだろう。そう思っていると、



「…………盗撮の術を全て教えたから」



なるほど。こちらの手の内を明かしちゃってるから、どんなに頑張っても全部見抜かれてるってワケか。スパイ映画なんかでよく見かけるあれだ。



さんも、写真くらいいいじゃない。ムッツリーニの腕は確かだし、一度撮ってもらいなよ?」



以前、ムッツリーニを海で逆ナンしてたお姉さんたちも言ってたけど。このドスケベは、カメラの腕だったら天才級なのだ。



「ご冗談を! 私は撮る専門であって、撮られるのは絶対に嫌です! 意地でも逃げる!」



小動物のように僕の後ろに隠れながら、激しく首を横に振るさん。
写真を撮られるの、そんなに嫌いなんだ……。女の子って基本的に旅行とかお祭りとかで記念写真撮ること多いと思うんだけど(姉さんもそうだ)。今までどうしていたんだろうか。



「…………そんなの関係ない」
「私の写真に需要はありません!」
「…………欲しい人はいる」
「どこの誰ですかそんな物好きは!?」
「…………(バッ)」



すごい勢いでムッツリーニが挙手した。



「「ってお前かよ!」」



2人の声が見事にハモった。さん、日頃の師匠を敬う気持ちが剥がれているよ。敬語敬語。



「んん、ごほん。……私の写真なんか何に使うんですか!」
「…………ナニに使う」
「まさかの下ネタ!? それは最低だよムッツリーニ!」



いくらなんでも衝撃すぎるその宣言は、悪友の僕でも受け入れられない。ムッツリーニの名前は伊達じゃないな……。
いくらなんでも女の子の前で言う発言じゃない。彼女は今どんな顔をしているのか、そう思って後ろを見ると。



「ししょ、う……」



スカートをぎゅっと握ったさんが真っ赤になって俯いていた。
か、かわいい……! いえいえ、これは単なる感想でして、って僕は一体誰に弁解しているんだ。



「あ、あの、その……あぅ、」



流石に照れたのか、もじもじとしおらしく傍に駆け寄っていく。これはもしやいけるんじゃないかムッツリーニ!?
―――だけども。そんな僕らの希望はもろくも儚く崩れ去っていく。



「しゃ、写真だけで、満足なの……?」
「…………っ!(ブシャァアアァ!)」



さんが、ムッツリーニの耳元でそう囁いたからだ。
当然、変な妄想を瞬時に繰り広げたスケベは、大量の出血と共にその場に崩れ落ちる。



「ムッツリーニ!? ムッツリーぃぃぃぃニぃぃぃ!」
「へっへーん! まだまだ甘いですよ師匠! 腐っても演劇部、女優魂を舐めちゃいけません!」



さっきまでの恥ずかしがっていた姿はどこへやら。さんは、真っ赤な舌をちらりと出しながら、颯爽と走り去って行った。ああ、さっきのFFF団での一件も演技なのか(ようやく気付いた)。



「女って怖いね、ムッツリーニ……」
「…………でも魅惑的」



懲りない奴だな全く……。
まぁ、でも。



―――ムッツリーニに囁いていたときのさんの頬が、夕陽のような色に染まっていたことは(ムカつくから)黙っておこう。


バカムッツリーニカメラマンの弟子!

(意外と、師匠からレベルアップする日は近いかもしれないね!)


Twitterでちょっと前に盛り上がって、書いてしまった……なんかシリーズ化してしまいそうな予感。