切ない夕暮れだった。
黄昏とは、まさにこの事を言うのだろう。
万事屋の窓から覗く影の落ちたかぶき町は、哀愁を漂わしていた。



「暗くなって来たなー」
「うん」




彼女は既に帰り支度を終えているが、動く気配はない。
仕事はもうとっくに終わっているので、今日はいつ帰ってもいいのだが、なんとなくここにいたかったようだ。



不意に近づいてきた彼女を抱きしめた。
思いもよらぬ行動に彼女は驚いたようだ。




「銀、ちゃん」




優しく響く彼女の声は耳に痛かった。




「私、もう帰らないといけないの」
「知ってるよ」




明日の朝早いもんな。
それでも俺は彼女を離そうとはしなかった。
離してしまえばこれが最後だという事はわかっていたからだ。ますます離す気にはなれない。
離せ、という割りに彼女の腕がそっとに首に回ってきた。
……ちょっと、安心した。




「祝福の歌でも歌ってやろうか?」




彼女が好きだと言っている曲があった。
アップテンポで綺麗なオペラの歌。
俺は彼女にその歌を聞いて知ったのだ。叙情的な良い歌。
そして―――、いつの間にか口ずさめる様になっていた。
その歌を歌う。今の感情を述べ表す様に。
リズミカルな曲調はとても今の気分ではないけれど、それぐらいしか思いつかなかった。




歌が終わればしんとした部屋に戻った。




「ありがと」




銀ちゃんの歌声はとても好きよ。低くて、でも暖かいところとか大好き。
彼女はそう言った。
素直で可愛らしい彼女は最初で最後かもしれない。
そんな彼女を見てふと思考回路が狂った。




「お前を殺めてしまいたい、って思っちった」




どう思うだろうか。流石に呆れたか、というより恐怖心を覚えたのでは。




「ふふ、じゃあ三途の川で待ってるね」




……そんな、滅多に見れねぇような笑顔を向けないでくれよ。




「どうぞ、殺してちょうだいな」




彼女が俺の手をとって、そっと白い首に手を当てさせられた。
そこは熱くてどくどくと脈を打っていることがわかる。
世間一般に言う「狂った愛」。
愛する人を殺めて永遠に自分の物にするという危険思想。
俺は、そんな愛は愛でないと思っているし、永遠なんて不確かな物は信じていない。
彼女もきっとそうだろう。




ただ、愛すべき人がどこかに行ってしまうというのなら、どうにかして自分に束縛したいと思うのだ。
そんな事出来るはずもなく無力な自分が、どうしようもなかった。




この世はどうしようもない。
幸せを望んだって、その幸せを握り締める事ができるのは、僅かしかいないのだ。
……彼女を離せないでいる俺が一番どうしようもないとも思ったが。




「できるわけないだろ」




そんなこと。
彼女は笑った。
そして、ぎゅっと俺の首の後ろに回っていた腕に力が入った。
するりとお互いを開放すれば、もう二度とお互いの体温を感じる事はないこと知っている。
もうお互い求めることはないし、男と女ではいられない。
それでも。
今は、たまに万事屋に遊びにくる友人で。
昔は、命を預けあう存在だった。
なのに、皮肉なもんだ。
彼女が背を向ければ、これが本当に最後だ。
俺だけのものだとずっと思っていた、彼女が。




「なぁ」
「ん?」
「愛してるよ。ずっと」




なんて安い言葉だろうか、言うのは容易い。
ただ他に言葉は見当たらなかった。己の語彙の狭さに苛立ちを覚えた。




「うん、私もよ」




それでも彼女はそう答えてくれた。




……明日、彼女は花嫁になる。




   毒りんごの愛


(毒りんごは、己の持つ毒故に、愛する人を遠ざけてしまうのです)





銀ちゃんの声が、杉田さんだったからこそ書けた作品かもしれない(笑)