池袋 露西亜寿司前




 墨色という言葉が、これ以上ない程よく似合う色に空が変わって来た夜、一人の男が露西亜寿司にやって来た。一仕事終えてから来たらしく、満身創痍といった体で暖簾を潜る。
 彼の名は、門田京平。ダラーズの一員でもあり、職人系の仕事を生業としている男だ。


「OH、カドータ。イラしゃーい」


 迎えてくれたのは、いつも通りの外国語訛りと温かみに満ちた声。しかしながら、その日は勝手が違っていた。


「よぉサイモン……って、オイオイ。その格好はどうしたんだ?」


 門田が驚きながら言うのも無理はない。2メートルを越す黒人―――サイモンの白い割烹着は、黄色やら白濁色やらで薄汚く汚れていたのである。寿司屋という職業に誇りを持っている彼は、今までそんなことは一度だってなかったのに、だ。


「どうやら、さっき客引きをしていたときに、子供らに生卵を投げつけられたらしくてな」


 奥から、白人の板前が顔をのぞかせて言う。


「食べ物で遊ぶの、イケナイネ。モッタイナイおばけ出テ来テ、喧嘩する。喧嘩すると腹ペコリなるヨ。ダカラ、スシ食いネェ」
「どうやら、今流行りのエイリアン、ってやつらしい」


 日本語を理解しているのかしていないのか分からないようなサイモンの言葉は無視して、包丁を片手に握ったままの板前が無愛想な調子の日本語で教えてくれた。


「ああ、『エイリアン』、か……」
「ン? カドタ、何か知ってるカ?」


 急にぎこちない雰囲気になったことに気付いたサイモンの質問。その視線から逃げるように、門田は店の奥に目を向けた。
 店はいつものように様々な人間で溢れかえっていたが、その中でも特に騒がしいテーブルが一つ。


「いやー、それにしても今日は本っ当に良い天気でしたねー」
「ねー。ビアトリスとか漂ってそうだったよねえ。あれって、人間の思考・意志に感応・反応して変化してあらゆることを可能にするから、よもやシズちゃんがイザイザを好きになったり、」
「すいません狩沢さん、俺まだ死にたくないっす」
「つーかお前ら……いい加減にしろよ!」


 奥のテーブルで隣り合って独特な話を繰り広げているのは、末期の二次元好事家として名高いコンビ・遊馬崎と狩沢。そしてその前の席に座るのは「正面の二人とは無関係です」という風を装った渡草だ。三人とも、門田を慕ってくる仲間である。
 いつもなら、扉だけが痛車仕様という目立つ外見でお馴染みの白いバン(渡草の愛車)で移動に徹している彼らだったが、ここ数日間、諸事情があってワゴンは修理に出されていた。
 そんなワゴンも、本日中には修理が終わる。そこで、門田の仕事が終わるのを露西亜寿司で待って全員が揃い次第、顔馴染みの修理工場に引き取りにいく予定になっていた。


「全くー。とぐっちのツンデレさんめ! 金子綾乃ちゃんみたーい! ならば私は有馬哲平くんになりたいです!」
「プリラバっすか。俺的には、藤倉優ちゃんが良いっすねー。あの立派なメイド姿にはマジ惚れですよ」
「アヤノ? テッペイ? ユウ? 誰だそれ……」


 渡草の疑問なんぞお構いなしに、狩沢と遊馬崎はマニアックな会話を繰り広げている。


 ―――ああ。今日も楽しそうで、何よりだ。


「ダイジョブ? 門田シャチョ?」


 未だ自分の到着に気付いていないらしい彼らを遠目に眺め、心配そうに聞いて来たサイモンに答えるべく、門田は口を開く。


「いや。実はあいつらも、この間被害にあってな。大変だっ、」


 そう言いかけた瞬間、外が俄かに騒がしくなった


「大変だサイモン! 外で、平和島静雄が暴れている!」


 タイミング良くそう言いながら入って来た客の言葉でサイモンが慌てて店の外に出たため、門田は会話を打ち切った。どうやら、もっと大変なことが始まったらしい。


「何があった?」
「やー、なんか平和島がマンホールの穴に落ちたとか……。俺がエイリアンだ、と名乗るリーマンが、平和島のやつに恨みがあったみたいで、落とすために蓋を開けておいたらしいです」
「そうか」


 板前の持つ鈍色に輝く刃を怖々見つめながら、客が答えた。
 それを、何処か思い詰めたような表情で聞いていた門田だったが、やがて、外へ―――静雄を中心として起こり始めた喧騒の中へと、飛び出して行く。
 客が言った通り、池袋の喧嘩人形こと平和島静雄は、大層ご立腹だった。顔に血管が浮いていて、誰もが、キレていると分かるほどには怒っている。


「なーんで俺を狙ったかは知らねぇ。でもよぉ、マンホールってのは、開いている穴を塞いでおくためにあるもんなんだよ!」


 下水などで汚れている上、落ちた時の衝撃でボロボロになったバーテン服。服がその状態でも、自身は骨折することもなく元気に穴の縁から這い上がってくるその姿は、ホラー映画などの、井戸から出てくる髪の長い女とはまた違った恐怖があった。


「まあ確かに。普通、池袋の道のど真ん中のマンホールの蓋が開いてるとは、思わねぇべ」


 こいつ、俺らがこの間出会い系サイトの借金取り立てした奴だな、とトムは気づいていたが、巻き込まれるギリギリの所まで避難しているので、それを静雄に伝えることは出来なかった。 


「それを取っちまうってことは、落ちてもいいと思ってたってことか? 俺じゃねェ誰かが落ちたら絶対に死ぬってことくらい、茜くらいの歳のガキだって分かるだろうが」


 だったらよー、おっさん。そんなことも分からねェてめぇは、殺されても文句言えねぇよなぁ?
 静雄が怨嗟の籠った声音でそう言った直後、サラリーマンのひ弱そうな身体は静雄の拳によって空高く舞い上がり……きっかり十秒後に、地面と仲良く口づけを交わす運命を迎えた。


            ♂♀



チャットルーム




狂【それにしても、全く今日は大変でした。あんな思いをするのはもうこりごりですわ】

参【こりごり】

田中太郎【何かあったんですか?】

セットン【珍しいですねー】
セットン【狂さんがそんな弱気な発言をするなんて】

罪歌【どうしたんですか】

狂【流石の私と参も、今日のような出来事に遭遇すると悲しくなります。居たたまれないと言いますか、諦めきれないと言いますか腹が立つと言いますか】

参【プンプン】

田中太郎【主に怒りなんですねwww】

セットン【何があったんです?】

狂【皆様は、今巷を賑わせている都市伝説の、エイリアン騒動をご存じでしょうか? その名の通り宇宙人なのか、はたまた「鋭利庵」という人物なのか。それは定かではありませんが、池袋で最近多発している迷惑行為、それを全部起こしている彼……もしかしたら彼女かもしれませんが……が、「エイリアン」と名乗られるお方なのです】

参【謎です】

セットン【いえ、知りませんでした】

罪歌【わたしも しりませんでした】
罪歌【すみません】

狂【あああ、謝らないで下さいな! もし気になるようでしたら、ソーシャルネットワーキングシステム『パクリィ』のコミュニティの、『池袋都市伝説・エイリアン』というところを探してみて下さい。そこに詳しいことが書いてありますので】

参【良く分かります】

田中太郎【今、見てきました】
田中太郎【結構すごい数の被害が出てるんですねー】

セットン【本当に。池袋在住なのに全然知らなかったです】
セットン【事件の件数自体は多いのに、被害の内容自体は大したことないような……】

田中太郎【そうそう。おまけに、こんなに犯行が多発しているのに、犯人像が全く掴めてないなんて、不思議ですね】

狂【そうです。そこがまた腹が立つのです。私も今日、被害を受けたのですが、その被害というのが些細なことでして。すれ違いざま水を掛けられる、というだけの単純さに拍子抜けしてしまいましたわ。水でなくカルピスを掛けられたなら、妙にいやらしい想像をしてしまって、その変質さに胸ときめいてしまったかも知れませんのに】

参【えちー】

セットン【ああ、そういえば相方もこの間そんなことを言ってたような……】

田中太郎【え、そうなんですか!】

セットン【コンビニで見知らぬ男にハリセンでぶたれた、とか。もしかしたら、あれもエイリアン騒動の一つだったのかも……】

罪歌【だいじょうぶですか】

セットン【大丈夫です。相方はそういうの慣れてるんで(笑)】

狂【まぁ、セットンさんの相方さんはドMなのでしょうか。ともかく、皆様お気をつけて下さいませ。大したことのない悪戯、と油断していると、大事件に発展するかもわかりませんから。女性の方は特に。私が襲ってしまうかもしれませんよ?】

参【ダメ、ゼッタイ】

田中太郎【(笑)】

セットン【それにしても、なんかちょっと怖いですね】
セットン【早く犯人が捕まってくれるといいんですけど……】



            ♂♀



数週間前 池袋西口 某カラオケ店


「ねぇねぇゆまっちー。『RAILWAY→EXIT』歌ってよぅ。『ミラクル☆トレイン』の汐留くんのキャラソンー!」
「えー……。じゃあ狩沢さんが、『ダ・カーポ』の音姫ちゃんのキャラソン歌ってくれたら考えるっす」


 その日、深夜アニメのオープニングが配信されたので早速練習しよう、と狩沢と遊馬崎はカラオケに来ていた。


「汐留×月島とか良いよね。ショタの攻めは美味しいよね!」
「いやいや! 断然百合っす! BLよりもGL!」


 器用に、会話しながら交互に歌っていく二人。


「にしても、なーんでこの機種には、『Funky Foxy Lovely Time』が入ってないんだろう? 『我が家のお稲荷さま。』はやっぱり常識だと思うんだけどなー」
「あ、俺飲み物取って来ますけど、狩沢さんもいります?」


 ガラスのコップの底に僅かばかり残ったオレンジジュースをストローで啜りながら、くーちゃんの男体化ってイケメンで声も渋くて良いよねーと呟く狩沢に、遊馬崎が尋ねる。
「あ、ホントに? じゃあ、ウーロン茶をお願いー」


 ゆまっちの分も適当に次の曲入れとくー、と言いながらグラスを渡され、遊馬崎は部屋の外へ出てドリンクバーに向かう。
 運命の歯車が回り出したのは、狩沢に頼まれたウーロン茶を入れ、自分用のコーヒーを入れようとしたときだった。


「あっれ、遊馬崎じゃん! なついなー。お前らさ、まだ門田の金魚のフンやってんだって?」


 馴れ馴れしく肩を叩きながら声を掛けてきたのは、見覚えのない顔だ。しかし、チーマーのような雰囲気と青い色の帽子をかぶっていることから、なんとなく素性を察する。
 ……ブルースクエアの、残党だと。
 手前の関わった事からは逃げられねぇさ、という門田の言葉を反芻しつつ、とりあえずは「ういっす」と挨拶を返しておく。


「なんか噂で聞いたんだけどよぉ、今お前らダラーズにいるんだって? しかも、門田とか顔役なんだろ? ブルースクエアを裏切った癖に、上等だよなぁ!」
「いやいや、門田さんは上層部じゃないっすよー」


 ……思い出したくない過去は脳の片隅に追いやって、あくまでも表面上だけは親しげに話に乗ってやるのが、俺流っす。


「まあまたぁ! 正直になれよー、遊馬崎くん。そこで、だ。おいらは、考えた! ……ダラーズの情報をちょびーっと貰えねェかなぁ? ダラーズをやめろ、とは言わねェ。ただ、ちょっくらスパイしてくれりゃあいいダ・ケ」


 もちろん、見返りとして金はやるよ。簡単だろ? 美味しい仕事だろ? と楽しげに語る、青い帽子の男。
 ―――なにも、知らないくせに。
 ダラーズのことも、門田さんのことも渡草さんのことも狩沢さんのことも知らないくせに。あのワゴンがどれだけ居心地良くて、手放したくない場所だか知りもしないくせに。


 バリンッ、


 乾いた音が不良の言葉を遮り、彼はふと我に返った。
 恐る恐る音の発信源を見たチーマーの横で、いつも通りの表情の遊馬崎が、ドリンクバーの棚にグラスを叩きつけている。


「何を言ってるんすか? ブルースクエア? そんなの妄想の産物っすよ」


 男がはっとした瞬間にはすでに、割れた破片の鋭く尖った先端が己の目の前に迫っていた。


「みんな、なーんでそんな妄想に取り憑かれてるんすかね。ブルースクエアなんて存在しなかった、って何度も言ってるのに」
「ま、待て、遊馬崎! 早まるな。考えてもみろ、ダラーズにとってもブルースクエアにとっても、これはいいこと……」


 未だ足掻くように言葉を連ねていた相手の脳天に、何かが振り落とされた。そのまま気絶する男。


「もー。ゆまっちは危ないんだからー」
「……狩沢、さん」


 倒れたチーマーの背後にいたのは、六法全書にも勝る厚さの歌本を持った狩沢だった。半開きで鋭い眼光のまま、「歌本とはいえど、本を武器にするなんて。私ったらいけない子だわ!」などと呟いている。


「ウーロン茶頼んだのに全然戻ってこないんだもんー」


 次の曲、私が歌っちゃったからね、と言う彼女は、すっかりいつものノリに戻っている。


「ダメだよぅ。知らない人に喧嘩売ったり、ついて行ったりしちゃ! 誘拐されて売り飛ばされちゃうよ?」
「俺からは喧嘩売ってないっすよー。それに、売り飛ばされるって何ですかソレ。臓物的な何かっすか」


 グラスを受け取った狩沢がウーロン茶を飲み干している間、手持ち無沙汰の遊馬崎は、靴の爪先で不良を小突いていた。


「なーんだ、喧嘩じゃなかったのか。ちなみに、そんな貧弱そうな臓器なんて一円にもならないよ。売られるのは君のそのピチピチの身体だよムフフ」


 小突かれてもピクリともせず、目の前で力なく横たわるチーマー。そんな男を、とぼけた会話をしながらずりずりと引きずって、空室のカラオケルームに連れ込む二人。


「ひぇえ! もー、怖いことを言わないで下さいよー」
「穢れの知らない身体に、男たちのいやらしい手が伸びてくるのであった……。あ、手ぇ怪我してるよー」
「え? ホントだ。多分、ガラスで切ったんすねぇ」


 無人の個室は真っ暗だった。そこの床に不良男を乱暴に寝かせると、男のポケットを漁りタバコとライターを出し、そのままタバコを一本抜き取ると、火をつけて腹の上に置く。
 ―――静かに赤々と燃える焔は、自分達の怒りを連想させた。


「さぁて、帰りましょうか、狩沢さん。まだお時間は残ってますけど、逃げないと」
「そうねー。っていうか、ドタチンたちに何て言おっか? ここのカラオケよく使ってること知ってるし、絶対アレの犯人がうちらだってバレバレよね」


 そんな会話を交わしているうちに火災報知機が鳴り出し、店員や他の客が騒ぎ始めた。その混乱に乗じて部屋に戻り、荷物を持つと、二人はこっそり支払いを済ませて店を出る。


「今よりももーっと怪我をして、『ショックで覚えてない』って言えば良いんじゃないすか?」
「被害者なりすまし詐欺? でもドタチンだからなー、誤魔化せるかどうかは分かんないよ。多少の目くらましにはなるけど」


 防犯カメラには映らないように動いたし、都会の人ごみに紛れてさえしまえば、警察には捕まらないだろう。問題は、妙なところで聡い仲間にばれないようにする、その一点だった。


「でも、狩沢さん、俺のこと本気で切りかかれます?」


 人目のつかない路地裏に潜り込んで、リュックの中からカッターナイフと金槌を取り出すと―――。
 遊馬崎は金槌、狩沢はカッターを、それぞれ握った。


「……この前、『WORKING!!』見てたときの『どうせ狩沢さんは佐藤×相馬だと思ってるんでしょ』っていうゆまっちの台詞を思い出せば余裕だもん。そっちこそ、レディを殴れるの?」
「平気っすよ。狩沢さんはレディではなくて腐女子ですから」
「あー、うん。まあそうね」
「いや、そこは否定するのが正解……」


 そんな軽口を言いあいながら―――
 彼らは、致命傷にならない程度に相手にダメージを与える、というある意味では難しい取っ組み合いを始めたのだった。


            ♂♀


 同時刻 某駐車場


「深く眠る記憶ぅー そっとつながる蜘蛛の糸ぉー たぐりよせたその先にぃー やさしい光がぁー 見えるだろーかぁー」


 ふんふんと鼻歌を歌いながら機嫌良く、一人の男が歩いていた。片手に猫耳のついたメイドカチューシャを、もう片方の手には「ルリたんLOVE」と書かれた団扇を持ち、ライブの余韻が抜けぬまま帰ろうとしているのは、渡草だった。
 見ての通り大好きなアイドル・聖辺ルリのコンサートの帰り道。カズターノに売って貰ったチケットが最前列だったこともあって、今日は最高に気分が良かった。今日はこの後、カラオケではしゃいでいるであろう二次元好事家コンビと、仕事終わりの門田を迎えに行き、露西亜寿司の半額デーに向かう予定だ。うっかりその約束をすっぽかしてしまいそうなほどにはテンションが最高潮だった。


 それなのに。
 それなのに。
 そんな高揚した気持ちを打ち砕くかのような出来事に遭遇してしまったのは、……ただの偶然に過ぎなかったのだろう。


 ―――渡草のバンを停めていた、八時間まで三〇〇円の駐車場で不良グループがたむろしていたのも、
 ―――その若者たちが、門田を目の敵にしていたのも、
 ―――「あー、マジでムカつくわ。一回シメとくか?」という会話をしていたのも、
 ―――その会話を渡草が聞いてしまったのも、


 全てが全て、偶然。あえて、日頃の行いの悪さが招いた結果だとは考えないことにする。
 どうしたもんかな、と渡草は考えて―――やがて愛車に乗り込むと。
 ……なんと、撥ね飛ばした。
 今、ここで自分があの集団に向かって行って不良共を倒すのは(いくら昔はブルースクウェアのメンバーだったとはいえ)腕っぷしの弱い自分には無理だ。おまけに、相手は複数、自分はたった一人と来ている。しかしながら、ここで見逃したら、奴らは確実に門田のところへ向かうだろう。
 だったら、悪い芽はさっさと摘んじまった方がいいよな、と考えた末の決断だった。撥ねるというアイディアが出てきたのは、遠くに見える赤信号が、罪歌事件のときのことを思い出させたからかもしれない。
 短い悲鳴をあげて緩やかに宙に舞った不良二人が、固いコンクリの地面に叩きつけられるのを確認するよりも早く、渡草は車を発進させた。いくらもう薄暗くなっている上にライトも付けていないとはいえ、とりあえずは死なない程度に撥ねている(流石に殺すわけにはいかない)のだ。追いかけてきて、ナンバープレートや運転手の顔を見られては厄介なことになる。
 去り際にバックミラーをちらりと見やれば、よろめきながらも立ち上がる二人組と、その周りに駆け寄る仲間の姿が映っている。どうやら追いかけてくるつもりはないようだ。相手方が大した怪我をしていなかったことと、自分の正体がばれなかったことにほっとしながら、ワゴン車は池袋の喧騒に紛れ込んだ。


 ―――はず、だった。


 その事実に気付いたのは、飲み物を買おうとして車を止め、自動販売機に向かったとき。


「ヤッべ……」


 目に入ったのは、前方のバンパー部分が大きく凹んでいる自分の愛車だった。おそらく、さっきの衝撃が原因であろう。
 咄嗟に思ったのは、「どうやって隠そう」ということ、ただ一つ。もしも、あの駐車場で不良が白いバンに撥ねられた、という噂を聞いたなら……。
 ライブのとき、自分があそこの駐車場を良く利用していることは、濃い個性を持つ仲間達なら良く知っている。そんな彼らが、この凹みを見たら―――。真実に思い当たるのは、あっという間な気がした。当然ながら、修理するには時間が足りない。
 何か、何かないか。凹みを気づかせない、上手いこと隠せる方法は。
 渡草は必死で頭を巡らせる。


 そして、ある一つの手段を思いつき―――
 彼は東急ハンズで赤色のペンキの入った缶を買ってくると、それを車の凹み部分に向かってぶっかけたのだった。


            ♂♀



 現在 露西亜寿司前


「おーおー。飛んだねえ」


 後ろから飄々とした声が聞こえ、その聞き覚えのある声に、門田は振り返る。


「……臨也か」


 爽やかな顔で、けれど何処か小馬鹿にしたような表情で立っていたのは、新宿を拠点としている情報屋で門田の同窓生でもある折原臨也その人だった。


「シズーオ、喧嘩だめネ。喧嘩するとオナカ空いて、悲シイ。寿司食うカ? 寿司はイイヨー。美味しいヨー」


 未だ怒りの沸点が下がらない静雄が、ガードレールを引っこ抜いてサラリーマンに投げようとしたのを、間一髪サイモンが止める。その隙に、騒ぎを聞きつけた警察が男に寄って行った。
 全身の痛みが激しくて起き上がれないのであろう、サラリーマンは寝たままの状態で手錠を掛けられ連行されていく。


「あの男も馬鹿だよ。エイリアン騒動に乗じて、こっそりシズちゃんを痛めつけようなんてさ。考えれば無理ってことくらい、池袋に住んでるなら、子供だって分かることなのに」


 男がパトカ―に連れ込まれるのを見届けたトムが「静雄ー、行くぞー」と声を掛けると、静雄はサイモンとの格闘を止めた。
 魔法が解けたかのように、元通りの姿を取り戻していく池袋。


「まあ何にせよ、警察が介入してきてあの男は逮捕されたし、これで一連のエイリアン事件は終結に向かうだろうね」
「そうか?」
「一人でもエイリアンが捕まれば、終わり。意外なことに、事件なんてそれくらいあっけないものなのさ」


 あの男に全ての罪を擦り付けることは出来ないだろうけど、俺的には全ての犯人が見つからないまま終止符が打てて良かったよ、と嘲る臨也。


「シズちゃんが死ななかったのは残念だったなぁ! でも、まあ一つだけ言えるのはさ、」


 含み笑いのような冷たい微笑みを浮かべつつ、門田の目を覗きこんで、臨也は続ける。


「そもそもの発端―――最初に『エイリアン』を言い出した人間はさ。こーんな結果は望んでなかっただろうね!」


 ドタチンもそう思うだろ? と意味深に問う臨也に、門田は溜息を吐きながら、たった一言だけ、いつものように返した。


「だから、その名前で呼ぶなっていつも言ってるだろ」


           ♂♀



 それは、『エイリアンが、初めて出没した』日のこと。
 仕事を終え、仲間との待ち合わせ場所である東池袋中央公園へと向かおうした門田は、その途中、カラオケ店の前でけたたましくサイレンを鳴らす消防車と、駐車場で激しくレッドテールを回すパトカー見て、胸騒ぎを覚えた。


 あそこは、あいつらがよく使っている場所だ……。
 嫌な予感を抱えながらも慌てて待ち合わせ場所に行ってみれば、そこにいたのは、「知らない奴にいきなりカラオケで襲われて負傷した」と言う遊馬崎と狩沢、そして「ライブから戻ってきたら車にペンキを掛けられていた」と言う渡草。
 犯人だとバレていると気づいているのに、嘘を吐く彼ら。
 だから。そんな仲間の訴えに、「お前らをやったやつら、『エイリアン』とかいう奴じゃないのか。なんか、流行ってるらしいぞ?」と門田も嘘を吐いた。考えてもいないのに、嘘はすらすら出て来た。仲間を罪から守ろうと必死だったのだろう。


 ―――ちょっとした嘘で、あいつらを救えるなら……。
 ならば、その嘘を現実に近付けて。自らが作り出したその存在をより確かなものにすればいい。噂を広めていけばいい。


 「些細な嫌がらせを受けた人はいませんか? その犯人は、もしかして、都市伝説のエイリアンではありませんか?」という内容を、ダラーズのメーリングリストで回したり、「エイリアンについての情報求ム」というメッセージをダラーズの掲示板に貼り付けたり、ありとあらゆる小細工を施した。そのうちに、池袋の新都市伝説・エイリアンの情報はどんどんと一人歩きを始め……あっという間に自分の予想を超え、気づいた時には取り返しがつかない所まで成長していた。門田は知る由もなかったが、その様は奇しくも、当初の「ダラーズ」に似ていた。
 そのうちに、池袋には毎日のように『エイリアン』が出没するようになった。事件が広がれば広がるほど、それと比例して門田の不安は大きくなった。「こんなことを望んでいたんじゃない、あいつらの事件を隠せれば良いだけだったのだ」と。しかし、そう思う反面、心の何処かでは「これだけ事が重大になれば、誰もあいつらの起こしたことには気づくまい」と安心する自分もいた。


「臨也の言うとおり、か……。確かに俺は、こんな結果を望んでいたわけではなかったな」


 自分を慕ってくる三人が無闇に他人を痛めつけるような人間ではないことを、門田はよく知っていた。暴力は許されることではないが、何か理由があるのだろう。だから、だから。自分が、警察や不良から守ってやろう。そう考えただけだったのに。


 ―――どうしてこうなったんだろうなぁ。
 そればかりは誰も知らない、神のみぞ知ることだった。


           ♂♀



『闇医者のノロケ話 その零』


 おや。慌てて部屋に入って来てどうしたんだい、セルティ。ん? エイリアンに取り憑かれているかもしれない? 
 ああ、この間のコンビニでのハリセンビンタ攻撃のことを言っているのか!
 心配してくれてありがとう、でも大丈夫さ! あれは無事解決したんだよ。
 ああ、知らないよね。たった今、犯人が捕まったのさ。静雄に喧嘩を売ったサラリーマンがボロボロになりながら「自分がエイリアンだ」と自白して、警察に捕まったんだ。


 ……え? 「なんでサラリーマンが新羅を引っ叩く必要があったんだ?」って?


 違うよセルティ。僕をハリセンビンタしたのは、別の人間さ。
 どういうことか、って顔をしているね。
 思いがけず自分が加害者になってしまったときや、自分の犯行を隠したいときにだけ、エイリアンは出没するんだ。要するに、自分のイタズラを隠すため、都市伝説であるエイリアンがやったことにしてただけなんだよ。
 だから、エイリアンという生物が実在しているわけじゃない。都市伝説って言われてたのは、そういった訳があるんだろうね。
 エイリアンは、誰かに罪を擦り付けたいような後ろ暗いところのある人にとって、ちょうど良い恰好の器だったんだ。
 だから、まあちょっと思ったんだけど……。
 「エイリアン」には、捕まって欲しくなかったね。都市伝説は都市伝説のまま、謎の存在であって欲しかったかもしれない。
 結局のところ言えるのはさ、神様っていうお人は、どうやら自分の過去やら罪やらから、逃がしてはくれないみたいだってことだ。
 ま、神様なんてもの、僕は信じてないけどね!





                       完