吐く息が白く闇に溶けていくのを、銀時は空ろな眼差しでは見守っていた。
長い前髪をかきあげた指先は死人のように、冷たい。
常日頃着ている着物は薄すぎて、保温の役目を果たしてくれなかった。
しかし、身体そのものはそう寒さを感じているわけではない。
ただ、体内に蓄積されたアルコールの量が、半端でないだけ。
ふいに足音が響き、銀時は俯き加減にしていた顔をあげる。
遠目に、ちょこちょことこちらに近付いて来る女性の姿があった。



「銀ちゃん、」
「……




やがて、目の前に立ちはだかったの顔を見上げ、その紅い唇が、ゆっくりと動くのを待つ。




「銀ちゃん、大丈夫?」




凛とした声は、柔らかい響きを持って、そう問いかけた。




「あァ」




肯定の返事はしたものの、明らかに舌に絡まったような声と、動く気配すら感じさせない気だるげな様子を、は信用していなさそうな目つきで一瞥する。
は、幼子にするように、しゃがみこんで銀時の目の高さに視線を合わせた。




「そうは見えないけどなー。珍しいね、銀ちゃんがあんなに呑むなんて」




溜め息混じりで、少し呆れたように言いつつも、その表情はちゃんと銀時の身を案じていた。
の瞳が心配そうに顔を覗き込んでくる。

その気持ちを充分感じ取っていた銀時は、無理に笑みをつくってみせた。




「少し呑み過ぎただけだ、って」
「……立てる? こんなとこにずっといたら、風邪を引いちゃうよ」



あと、少し水飲んでアルコールを薄めよう? と言いながら、はまだ妙たちのいるスナックすまいるの入り口付近を指で示し、いったん中に戻ろ? と銀時を促した。
向かい側の建物の、閉められた店先の壁にもたれていた銀時は、頷いてが差し伸べてきた手に掴まり、引かれた力に合わせて腰をあげかけた。
が。




「っ!」




いきなり重みをかけられ、体制を崩したは、地面に腰をぺたりと張り付かせることになった。
腕の中に、銀時がその身を飛び込ませてきたことに呆然と固まっていると、




「……ごめん」




と、小さく声がした。
わざとではないことは、その後すぐに銀時が身を引こうしたことでわかったが、一度引きかけた身体は、巧く力が入らないらしく、再び自分に圧し掛かってくる。




「……っ、は」




耳に、銀時の苦しそうな息がかかり、具合を案じる気持ちの他に、違う感情が生じてきて、は急いで銀時の肩に手をかけた。




「坂田さん」




珍しく名字を呼びながら、少し肩を押して、揺り動かしてみる。
しかし、銀時はぐったりとに上体を預けたままだった。




「動けないくらい辛い?」

そう言いながら、顔を銀時の方に向けたせいで、頬が銀時の首筋に触れてしまう。
胸の鼓動が早まったのを意識しないようにしながら、は平静を装って事務的な口調で言った。




「妙ちゃんか新八君、呼んで来るね。私じゃ、銀ちゃん運べないし……」




女の力では男の身体を持ち上げるのは無理がある。
ましてや、相手は普通の男よりも鍛えられた数段逞しい侍だ。




「すぐ呼んで来るから、ここで待、」




言いかけた言葉を遮ったのは声ではなく、手だった。
突然肩を掴まれ、驚いて振り返ると、行くな、とでもいうように、銀時が顔を起こして、じっとこちらを見ていた。
その瞳は、いつもとは違って、しっかりとした光を放っている。
だが、呼吸は苦しそうだ。




「大丈夫、しばらく……すれば、自分で歩ける、から」




途切れ途切れの口調で言う銀時。
それは、寒空の下、一緒にいるのを付き合って、ということと同じ意味だった。
だが、その身勝手ともいえる提案に、は逆らえない。
やがて、ようやく体制を整えると、は銀時の頭を胸に預けさせた。
とはいっても、体格のいいその身体はやはり重い。
腕の中に銀時の頭を抱え込むような形になっていたことに気づいたは、手を離して顔を少し下げ、されるままになっている銀時のぐったりしたその耳に、そっと問い掛けてみる。




「気分は悪くない?」
「頭が割れそうなほど痛い……けど、それだけだな。吐き気がしたりは、ない」



だるそうに応える銀時。
その頭は今、の顎のすぐ下にある。
ふわふわとした髪の感触が心地よく、ふとそれに手で触れてみたい衝動を抑えつつ、はじっとその雪ような色の髪を眺めていた。
暫くして、銀時が思い出したように口を開く。




は、結構呑んでいたのに、顔色ひとつ変わってねぇな」




その言葉に、は微かに笑みを零す。




「私、ザルだから。酔えないのよ」
「……」




短く応えたに、暫し間を置いてから、




「酔えない、ねェ」




の胸に埋めた顔はあげぬまま、銀時はぽつんといった。




「酔わない、とは言わねーんだな」
「……」




一瞬黙り込んだだったが、やがて




「うん。……酔いたいと思うときも、あるよ」




と、小さく呟いた。




「ふぅん……」




銀時は、それきり何も言わない。
もまた沈黙して、自分の言葉を胸の内で反芻し、目線を下に落とした。
なんだかんだいっても自分をしっかりと保ち、弱味をみせるようなことなんてない銀時が、こんな姿を自分にさらけ出していることに、痛々しさも無論あったが、同時に、ある種の喜びのようなものを感じてしまう。
だが、そんなことは決して口には出せない。
なにか、別の話題を探そうと思考を巡らせていたその矢先。
突然、銀時が上体を起こした。
顔が間近になり、見下ろされている顔に見上げられていることにもさることながら、あまりのきわどすぎる接近に、はどきりとし、僅かに身を引いたが、それを追うように、銀時は顔を近づけた。
少し首を傾げるような形で顔を斜めにし、唇をの耳元に寄せる。

そして、深い響きのある声音で、低く、囁くように言った。




「俺が、酔わせてやろうか……?」




普段、よほど親しい人間相手でない限り聞く事のない低音をいきなり使われ、は言葉を失う。
唇が唇に近づいてくる速度は遅かった。
止めようと思えば止められるくらいの、スピード。
ましてや相手は今、ろくに力の出ない状態にある。
簡単に押しのけられるはずの銀時を押しのけなかったは、酔った男の戯事だし、怨む事はできないなぁ、と、口づけを受けながら考えた。
舌がゆっくりと中に割り込んで来る。




「っん……」




苦さと、甘さの混じる味のキスなのは、酒のせいかもしれない、と頭の隅で思う。
元々、銀時は酒が強くはないのだ。しかも、今夜はいつもに比べ、かなり荒っぽかった。
どんな理由かはわからないが、何かあったのだろう。
零れた息に重ねるように、銀時の吐息が吹き込まれていく。口内を侵す動きに容赦はなかった。




「ふぁ……んっ……」

零れてしまう喘ぎ声を、は止められなかった。
闇雲に攻めて来るようにみえて、銀時の口づけは巧みだ。
ぎりぎりで息苦しくなると、必ず唇を重ねる位置を少しずらし、だが完全に離すことはなく、何度も奪われる唇の受ける刺激に、はただ翻弄されていた。
長い長いキス。
さっきまで自分たちを取り巻いていた冷気はどこへいったのかと思えるほど、身体が燃えるように熱い。




「っ……」

銀時の背に回していたの指が、薄い布地を鷲掴む。
自分が既に、唇を、舌を、押し付け返していることはわかっていた。
執拗に、急くように。
息が確実に苦しくなっていき、それでも飢えた獣ように唇を貪り求めてくる銀時に、もまたなりふりかまわず応えた。
頬を挟み込んでいる銀時の冷たい両手、けれど感じる温かみと、逃さないとでもいうように顔を固定されているその力強い感触。
心も、身体も、なにもかも持っていかれてしまいそうになる。
これ以上唇を貪り合うだけでは満足できないと感じ、銀時は唇を離した。
濡れたの唇に残る、激しいキスの名残を直視する。




だが。
上気した頬を、銀時の両手からすり抜けさせたは、口を開いた。




「やっぱり、誰か呼んでくるよ……」




あえぐような声で。




「酔いを、醒まさないと……」




酷く落としたトーンの声で締め括られたそれは、感情が篭っていなかった。




「……そう、か」




少し間を置いた後、静かに答えた銀時。
その目に、自分が壁に強く押し付けていたせいで簪が落ち、あげていた髪がほつれて肩に幾筋も散らばっているの姿がうつる。
簪を拾い、逆の手を伸ばすと髪を撫でた。
真っ直ぐなの髪は、すぐ整ってくれる。
簡単には直らない銀時の髪とは違って、手ぐしを何度か通すだけで直ったの髪に、銀時は簪を優しく差した。
その間、は淡い色合いの銀時の髪が、闇に浮き上って映えるのを、じっと見つめている。




「……銀ちゃん、ありがと」




やがて立ち上がったは、銀時の瞳が心許なく、何かを欲するような眼差しであることに、胸が締め付けられるような思いになった。
が、それを必死に押し殺す。




「待ってて?」




どん、と音を立て、再び壁に背中を押し付けた銀時は、そこにもたれて、ひとこという。




「はいはい」
「ん。いい子ね」



短いその返事の後、安心したように踵を返して立ち去っていくの後姿を、銀時はもう見なかった。
目を閉じ、立てた膝の上に肘を乗せ、銀時は自身の頭を支える。
の足音が遠くなって行くのを聞きながら。
立ち上がって、の背中を抱きすくめて、引き止められる力を、今の自分が持っていないことが、悔しい。
足音が完全に消えた瞬間、目をあけた。
手を、額から下に滑らせれば、指の先が唇に触れる。
いまだ熱を持っているようなそこから指を離して、視線を落とせば、そこには微かに紅い色跡が残っていた。





    それ以上はご法度
                                            (いつかは俺に酔わせてやろうか)