『弱ってるときっていうのは、一番つけ込まれやすいタイミングっスよ』と教えてくれたのは、中学時代の後輩の、黄瀬涼太だった気がする。



「まーたバカな男のこと考えてるだ……ろっ」
「ひ、あぁん!」



ぐるんと、下から回すように深く突き上げられて、一瞬背中が浮いた。
そのまま、陸に打ち上げられた魚のように身体が跳ねる。ブラのホックがベンチに擦れて、背中が痛んだ。
着衣のままヤるって変態かよ。ま、瀬戸とか原辺りに見つかったときのことを考えると、咄嗟に逃げやすいし、誤魔化しやすいのは事実だけれど。
バスケ部室のベンチは意外にも堅かったんだなぁ、なんて。ただ座っているだけでは気付くことのできない新発見をしてしまった。



「こんなときでも他の男のこと考えるなんて、さっすが、淫乱は余裕だな」
「ひぅ、っ!」



膝を抱きかかえられて、何度も何度も腰を打ち付けられる。
ぐちゅんぱちゅんと響く水音は卑猥で、耳をふさぎたくなるほどだった。
口からは、到底自分のものだとは思えない(思いたくもない)ような嬌声がとめどなく流れるばかり。
外道なら外道らしく口にガムテープでも貼ってくれれば良かったのに。
それとも、ああいっそ、舌を噛み切って死んでしまえたらいいのだろうか。



センパイ、男慣れしてないっしょ? 気をつけた方がいいっスよ、そういう女の子って悪いやつに騙されやすいから』



脳内で、黄瀬が喋っている。モデルのときとは違う、嘘臭くない自然な顔で笑っている。
まぁ、間違っちゃいないだろう。
中学時代、バスケが強いことで有名な帝光中で弱小ハンドボール部のキャプテンだった私は、ボーイッシュでサバサバしていて、どちらかというと女の子から人気があるような人間だったから。
他の女子よりも背が高かったのと、面倒見のいい姉御タイプだったのもあるだろう、ふわふわした柔らかくて可愛い後輩たちから、「お姉さま」と慕われていた。
いつぞやかに黄瀬が「宝塚的な感覚で、女の先輩に恋焦がれる。年頃のミーハーな女の子たちに多い現象っスよ」と冷静に分析していたっけ。
その横顔はひどく冷淡で、ブリックパックのオレンジジュースを啜りながら、コイツ荒んでるな、と思ったのを覚えている。



「は、花みや、」
「ふはっ、なんだよそのブッサイクな面」
「も、もうやだぁ」



後々になって、黄瀬は意外と誠実な男だったと思い直すことになるのだけれど。
少なくとも今、私をぐっちゃぐちゃに犯している男―――花宮真よりかは、遙かに誠実だった。
荒れてた時期もあったはあったようだけれど、バスケに夢中になってからは真面目になったし。
ただし、それを『良いこと』だと思わない人間もいるのも、また事実だ。
……構って欲しい盛りのガールフレンド、とか。



慕ってくれていた後輩の中の一人から「黄瀬くんと付き合うことになったんです!」との交際のご報告を受けたのは、私がまだ黄瀬をよく知らない頃だった。
名前だけは噂に聞いていた。スタイル抜群のイケメンモデルで、何でもそつなくこなすスーパーマンのような男子中学生がいるのだと。
以前はあまり良い評判を聞かなかった黄瀬だが、最近ではバスケ部に入部して頑張っているとの話を耳にしていた私は喜び、祝福をした。



おめでとうとの言葉から一転、喜びで頬を真っ赤に染めていた彼女が眼を真っ赤にして泣きついてきたのは、それから半月後のことだったと思う。
曰く、「黄瀬くんに捨てられた」らしい。
あんなにも尽くしてたのにぃ、きっと私の身体だけが目当てだったんですぅ! とか泣き喚くかわいこちゃんの言い分を素直に信じて黄瀬に怒鳴りこみにいけば、なんのことはなかった。ただ単に、彼女が浮気しただけだ。
イケメンモデルな彼氏様がバスケに夢中で、寂しくなったその隙を狙った別の男子生徒にそそのかされ、甘い蜜を啜っていたところ、ばれてしまって別れを言い渡されただけのこと。
被害者ぶっていた女は、罰が悪くなったのかいつの間にか姿を消していた。
ようやく勘違いに気付いた私は、こちらの勘違いで勝手に責めてごめんなさい、と廊下で平謝りだった。不名誉な称号で一方的に責め立てたことに対して、謝っただけで許されることではないのは分かっていたが、それしか方法はなかったから。
すべては、女の子の涙に騙された私が悪い。



でも、その平謝り事件以来、何故か黄瀬は私に懐いてきたのだ。
不思議でならないのだが、私がそこいらの女の子のように黄瀬を特別扱いしなかったのが嬉かったらしい(確かに、黄瀬の周りにいることを許されていたのは、黒子くんとか青峰くんとか桃井さんみたいな「モデル扱い」しないような子ばかりだった)。
それまで女の子にしかきゃいきゃい言われたことのなかった私は戸惑いつつも、それでも子犬のようにじゃれてくるでっかい後輩を可愛がっていた。



―――嫉妬した女の子たちに階段から突き落とされた、あの日までは。



女っていうのは怖いものだと思う。
ついこの間まで、私のことを「お姉さま、お姉さま」と慕ってきた女の子たちは、掌を返すように私にいやがらせをするようになり、最終的には、暴力に訴えてきたのだから。
彼女たちに裏切られたとは思わなかった。なんとなく、早かれ遅かれこういう日が来るような気はしていたので。



『センパイ……ごめん、ごめんなさい』



幸いなことに、怪我は大したことなかった。頭も打っていなかったし、脊椎にも問題はなく、下半身不随になることもなかった。
―――右腕の骨折。
それだけで済んだのは多分、咄嗟に受け身の姿勢を取ったおかげだと思う。
「反射神経がいいですね、何かスポーツやってたの?」と褒めた医者は、私がハンドボール部に所属していることを告げると、急に押し黙った。



……ああ、もうハンドボールは出来ないのか。



そのことを瞬時に理解したときも、私は意外に冷静だった。悲しさも、虚しさすら湧きあがってはこなかった。
だから、入院した病院のベッドの横で「オレのせいっスよね」と泣きじゃくる後輩をどうして責めることが出来ようか。



『気にしなくていいよ、黄瀬。どうせ、ハンドボールは中学で辞めるつもりだったから』



あまりに大げさに泣くその様に、苦笑いしか出ない。
黄瀬を庇うための嘘ではなかった。本当に辞めるつもりだった。



―――私にはハンドボールの才能も、キャプテンとしてみんなを引っ張っていく才覚もない。



分かってはいたけれど、ただ認めたくなかっただけのその事実に、やっと向き合えただけの話だ。
天才と言うのは、黄瀬みたいなやつのことを言うんだよ。凡人の私は、一瞬だけでも夢を見れただけで幸せなの。
そう言いながら、無事だった左手で頭を撫でてやると、黄瀬は『でもオレ、センパイが笑顔で部活やってるとこ見るの、好きだったんス』と泣いた。
その清らかな涙と嘘の無い言葉は、私をほんのちょっとだけ喜ばせた。
高校でバスケ部のマネージャーになったのは、その言葉があったからかもしれない。私の心のどこかに、黄瀬のようなバスケ少年たちを応援したい、という想いがあったのだろう。



「ふはっ、随分と締め付けやがって」
「うっ、ぁ」
「そーんなにナマが気持ち良いのかよ、ド変態」



……少なくとも、『こういう』ことをするためにバスケ部のマネージャーになったわけではないということを、大声で主張したい。
さっきから頭をよぎる懐かしい記憶は、もしかして走馬灯なのだろうか。だとするなら、私は死ぬんだろうか。
まぁ、花宮は私を殺すような真似はしないだろうな、とは思うけれども。
悪評高いこの霧崎第一高校バスケ部において、文句一つ言わずにマネージャー業をこなす人材を、みすみす手放したくはないだろうし。桃井さんには負けるけれども、私もなかなか敏腕だと評判らしいことは、噂に聞いている。



「ちが、っ」
「違くねーよ、ド変態だろ? 好きな男のこと考えながら、好きでもない男に犯されてヨガってるくせにさぁ!」



中学生パワーとでも呼ぶのだろうか。
右腕の骨折の回復は、思ったよりも早かった。一週間の入院で済んだのは、幸運だっただろう。腕が折れた割に手指が無事だったのも、不幸中の幸いと言うべきか。
退院と同時に、私は部活を辞めた。ギプスで固定され、包帯でぐるぐる巻きの私の右腕をちらりと見た顧問は、退部届をあっさり受理し、キャプテンの座は誰々へ引き継いだからな、と告げた。
他の人よりも早い引退だった為、時間は有り余っていた。その膨大な暇を、私は勉強に費やすことにした。
学校に復帰した私を見る、冷めた後輩たちの視線から逃げるように参考書を捲った。成績は面白いほど上昇した。
だから、それならばと誰も私のことを知らないような少し離れた高校を受験することにした。当時の私の学力から考えると偏差値は少し高めだったが、懐いてくれていた後輩たちに裏切られたことを知っていた人は、何も言わずに応援してくれた。
受験勉強に忙殺されて美容院に行く暇もなくなり、ショートだった髪の毛は次第に長くなった。それと同時に、女の子らしく振る舞う術を覚えていった。
卒業式の日、久しぶりにあった黄瀬が驚いた顔で私を見ていたことを思い出す。あの顔は、傑作だったなぁ。



「はなみ、や」
「何だよ」
「ナカは、やだぁ」



涙や汗やその他諸々でどろどろになった顔を見上げ、幼子のようにたどたどしい言葉で縋る。
花宮は、一度だって避妊してくれたことがない。
コンドームなんてつけてくれないし、どんなに泣いて縋って願っても絶対にナカに出されるのだ。



「チッ。仕方ねぇな」



せっかく長く伸びた髪をむんずと掴む。
こんな風にされるために伸ばしたわけではないし、別に花宮のために伸ばしているわけでもないのだけれど、この男はこうやるのが好きだ。



「なんて言うわけねェだろ、バァーカ」
「ひ、やぁ!」



多分、誰も気づいていない。
女の子たちに、階段から突き落とされたとき。
階段の踊り場で、背中越しにその小さな手の温もりを感じて嬉しくなったのを、彼女たちはきっと知らないだろう。
「黄瀬に気に入られている」のだと、女の子たちからそう思われていることは、私を何より喜ばせた。



平凡で冴えない私が、『あの』黄瀬と仲良しだと思われている。
キセキの世代の一人で、モデルでもある有名人の黄瀬と仲良しだと思われている!



ここで落ちたら。ここで怪我したら。彼女たちは、一生、『黄瀬と仲良くしていた私という女』のことを忘れないだろう。
一生とまではいかなくても、しばらくは罪の意識に苛まれるに違いない。黄瀬だって、お見舞いくらいは来てくれるだろう。
キャプテンだからと踏ん切りがつかず、ずるずると続けているだけだった部活も、大義名分のもとに辞めることができる。
あれは、私の計算だった。



多分、花宮も気付いていない。
確かに私は黄瀬が好きだけれど、それはラブじゃなくライクなのだ。かわいがっている後輩ではあるし、自慢の友達でもあるけれども、でもそこに恋愛要素はない。
帝光中を卒業後、念願だった霧崎第一高校に入学した私は、夢見ていた通り、男子バスケ部のマネージャーとなった。
それは、他のマネたちが、花宮真の横暴で粗悪なプレイスタイルに呆れ、恐れ、辞めて行っても変わらなかった。いつしか私は、悪評高い霧崎第一バスケ部の、唯一のマネージャーになっていた。
なんだかんだで献身的にみんなを支え続ける私の働き自体は評価されていたし、瀬戸とか原から、「こんなあくどい部活のマネージャーを続けている頭の悪い女」として扱われるのも何だか楽しかった。
まぁ、それもこれも、黄瀬がスポーツ推薦で海常高校に入学することが決まり、「入学記念に、新しいバッシュを見繕って欲しいっス!」と言われて一緒に出かけた、あの日までだったけれど。



黄瀬と出掛けた次の日の放課後、花宮と二人きりになった私は、有無を言わさずおなかを殴られて倒れ込んだ。部室には人払令が出されていたらしい。
呻く私の制服のボタンをはずしスカートをずり下げ下着を脱がすと、覆いかぶさって来るその姿は、まるで悪魔のようで。
口にはタオルがねじ込まれていたため、私は悲鳴を出すことすらままならなかった。



私の太股に伝う鮮血を見、『こんな汚れた身体じゃ、もう黄瀬には会えねぇなァ』と嘲笑いながら太ももを抱え込み、何度も何度も腰を打ち付ける花宮は、なんだかひどく憐れだった。
なかなか辞めない私の存在を、周囲が訝しんだのも、無理はないことだとは思う。
誰かに言われたのだろう。「は、キセキの世代のひとり・黄瀬涼太と付き合っているらしい。スパイなのではないか」と。
そんなわけあるか。私なんかが黄瀬と付き合えるわけがあるか。
私がマネージャーを辞めなかったのは、花宮が好きだったからなのに。ただ花宮と一緒にいたかったから、それだけなのに。
そんな私の気持ちを知りもしない花宮は、その後もこうやって私を嬲り続けている。
仰向けで足を開いた状態ではもはや全く動けず、なんの抵抗もしないと言うのに、私の手を頭の上で押さえつけて逃げぬようにのしかかってくる。
それでも、私はあの男に何も言わない。
わざと嫉妬させて、これでもかと言うほど私に依存させて。
これは、私の計算だった。



「後始末、ちゃんとしとけよな」



力尽きてぐったりと横たわるだけの私の耳に、花宮がベルトを締めるかちゃかちゃという音が聞こえる。



「……悪いやつに騙されたのは、どっちかなぁ」



去っていく背中を見て、唇の端を歪めて笑った。



I(ndecent) Q(uack)160
(淫らなイカサマ師の策に落ちたのはだぁれ?)