ぱぁん、 乾いた音が1つして。 「っ、」 「きゃあああああ!」 「こんな時間にどうしたの?」 「……顔が見たくなって、」 そんな俺の甘いセリフに、彼女は頬を染めることなどせず。 ひとつ大きな溜息をつくと、自宅の玄関のドアを開けてくれた。 シャワー上がりなのか、その髪の毛は濡れて、毛先からは冷たい粒が滴れ落ちている。 「コーヒーあるけど、飲む?」 「あぁ〜。今日はいいや、酒大分飲んできたし」 妻子を持ったことなんぞないが、俗に言う「愛人」とは、こんなもんじゃねぇかなと、俺は思っている。 「じゃ、甘ーい紅茶淹れたげるね」 キッチンに立って、視線を送ってくる。 その投げやりな視線がまた色っぽい。 真夜中に突然、他の女の香水の匂いを振り撒きながら尋ねてくる男(しかもホスト)と、それをやすやすと招き入れる女。 「今日もお疲れさま」 「あぁ、まったくだ。あの女共ときたら」 思い出すだけで胸くそが悪くなる。騒ぐだけ騒いで、自分だけ満足して帰っていくやつら。 「今日はまた、随分と遅くまで飲んでたのね」 「……成り行きで、なァ」 ついでにベッドの上まで同行してきた、とは言えず、俺は口を閉じた。 別に、言ってしまっても良かったんだろうけど。 おそらく、は他に何も言わずに、そう、とだけ返すだろう。 ―――俺がに惹かれる理由はおそらくソレだ。 「金ちゃん、あまり飲めないんだから、無理しちゃだめだよ」 そう言うと静かに微笑む。 おそらく、全てを見透かしてはいるんだろう。 例えば、一番になりたいとか、自分だけを見てだとか、女性がやたらと聞きたがるそんな陳腐な問いすら、決して持ちかけてきたりはしない。 「なぁ」 お茶を運んできた彼女を、俺は隣りに招き寄せた。 ゆっくりと顔を近づけ、思わず瞳を瞑ってしまった彼女の愛らしい瞼に、自分の舌をなぞらせる。 「どうしたの?」 「寂しくて、さ」 「仕方ないねぇ」 「はよく知ってんだろ?」 「甘えんぼうね、金ちゃん」 は、いつもそう諭す。 いつだって、「私に甘えてるだけでしょう?」とは優しい口調で言うのだ。 いつか気付いたときには、私も含め、周りに誰もいなくなってるかもよ、などと最もらしいことまでつけ加えて。 でも、俺はよく分かっている。 自分が、多串くんみたいにたった一人の人に愛情を注ぎ込むあまり遠ざけてしまうことも、ジミーくんのように周囲に変わりない平等の愛を振り撒くことも、不器用な自分には出来ないことを。 「は、さァ。一番になりてぇーとは思わねぇの?」 「一番……?」 不思議そうな瞳では俺を見上げた。 ぱちくりと瞬きをする瞳は、やけに子どもじみて見える。 「金時さんの一番になりたいの〜とか、普通の女はそう言うこと言うワケよ」 「随分なセリフね」 「自意識過剰、ってか?」 「いやいや、そんなこと言ってないよ」 俺は、の肩に腕を絡ませると、ゆっくりと自分の方に引き寄せた。 抵抗せず、ゆっくりと預けられた心地よい体重を感じながら、俺は静かに息を吐く。 「で、どうなんだよ」 「金ちゃんの中で私が一番、ねぇ?」 少し困って、首をかしげたの髪の毛からは、いつもと変わりないシャンプーの香りが零れてきた。 「私を一番にしてくれるの?」 も大概言葉遊びが好きだ。 「ならな」 「うそ」 「本当だって」 の耳元で甘く囁く俺。 は決して、媚びたりはしない。 時折、照れながらも誘ってくれるのが嬉しいのでいいけれど。 との出会いは、数ヶ月前にまで遡る。 それは、月の綺麗なある晩のことだ。 閉店間際の店に、女が1人で入ってきた。 「オイ! もう閉店……」 「神楽!」 ちょっと露出の高いワンピースを来て、折れてしまいそうなほど細いヒールの靴を履いているその様子からして、初めてホストクラブに来たことを伺わせる客。 そいつは、閉店時間だということを告げに来た多串くんを突き飛ばして、店の奥でぱっつぁんと雇用契約の話をしていたオーナーを呼んだ。 「いるんでしょ神楽! 大人しく出て来なさい!」 オーナーの名前を知っている、と言うことは親しい仲なのだろう。 そう察した俺たちホストは客を向かえる態勢を崩して、溜め息を吐いて店じまいの準備に取り掛かる。 「?」 「やっと見つけたわ! なんで連絡くれなかったの!?」 店の奥から駆け付けたオーナーは、びっくりしたように目の前の女・を見つめる。 「何も言わずに私の前から消えて! 星海坊主さんも心配してたよ!」 (そーいや、オーナーって実家を飛び出したままなんだったなぁ) 前に、総一郎くんがそんなことを言ってたのを思い出しながら、テーブルを拭く俺。 視線が、ちらりちらりと女の太股へ行くのは否なめなかった。 「……戻りなよ、とは言わないけど、星海坊主さんに今の様子だけでも伝えてあげて? 心配してたから」 「余計なお世話ネ。には関係ないヨ」 話の流れから察するに。 オーナーとこの女は、ご近所に住む幼馴染みの仲良しさんらしい。 ―――訂正。仲良しさんだったらしい、だ。 ある日突然、オーナーは何も言わずに出奔し、その友情にも勝手にピリオドが打たれた……と言ったところか。 「神楽……」 「! 帰るアル、ここはのいるような場所じゃないネ!」 女は、急に声を荒げたオーナーにも動じなかった。 「私は、私はもうパピーやの知ってる私じゃない! 汚いことだって平気でしてきた、醜いことだっていっぱい見てきたヨ!」 ホストクラブのオーナーという仕事は、確かにそういう汚いこと・醜いことに触れる機会も多い。でもそれは、駆け引きが必要とされる職業だからであって、オーナーが悪いわけではない。 「……ねぇ神楽。何かあったら、私を頼っていいんだからね。前に出した手紙に住所書いてあるでしょう。そこにまだ住んでるから、ね」 後ろ手にドアを閉めながら、女は最後にそう言い残して去って行く。 店内の掃除を終え、外を掃いていた俺は、その後ろ姿を見えなくなるまで眺めていた。 「……途中まで、送って行くよ」 そんな声をかけたのは気まぐれだった。 「へ?」 長い髪を右往左往させ、ハイヒールの底をアスファルトにかつかつ言わせながら歩いていた足がふいに止まる。 顔を見ずとも、彼女の困惑は充分伝わって来た。 「こんな街で、女の1人歩きは危ねぇと思うぜ」 箒を持った金髪のホストが言う台詞ではないな、と自分でも思った。 「いいえ、結構です。オーナーの神楽には悪いけど、私ホストって信用してないの」 その後、一度も振り返ることも無くは行ってしまったのだが、俺は何故かのことを忘れられなかった。 (情けねぇ、なぁ) これでも、この店のナンバーワンホストなのに。 女の子をたくさん落として来たのに。 そんなわけで(どーいうわけだか知らんが)、オーナーを拝み倒しての連絡先を聞き出したのだ。 それ以来、しょっちゅう居候をする仲にまでなったのは、俺の努力の賜物だろう。 の家に泊まった日の次の日は、仕事に行きたくない気持ちが強い。 に励まされ、いやいやながらも、店に行く。 だるい仕事(金が良くなきゃやめてるなァ、絶対)もようやく終わって、ふざけながらも総一郎くんとワイングラスの片付けをしているとき。 「オーナー!」 用心棒のジミーくんが血相を変えて、飛び込んで来た。 「腹減ったアル」とかほざき、皿に残された料理をむさぼり食っていたオーナー(良い子は真似しないよーに!)が、口の周りにフルーツの汁を滴らせたまま、声の方に振り向いた。 「急に何ネ、ジミー」 そんなオーナーの口を拭ってやるのは、ぱっつぁんだ。 お前はこいつのおかんか何かか。 「大変です、春雨が動き出しました!」 「……はぁ?」 だから、あまりに平和な光景だったから、誰もジミーくんの話を飲み込めなかったんだ。 「つまりは、」 近隣の町で夜王と呼ばれている鳳仙が、かぶき町に本格的に進出するために、幹部組織「春雨」を立ち上げた。 で、その部下たちが、そこいらのホストクラブに執拗な嫌がらせをしている、と。 「はい。高天原のナンバーワンホストの狂死郎さんも、階段から突き落とされて……。顔を8針縫う怪我だそうです」 高天原はここいらのホストクラブ一帯の中でも人気の高い店で、狂死郎はそこの人気ナンバーワンのホストだ(整形だけど)。 女の子に憧れの店を聞けば、うちの店か高天原の名が上がるくらい、うちとタメ張っている。 そんな高天原のオーナーだが、「春雨に高天原を全権任せる、という承諾書に印を押せ」とか無茶をいう夜王の脅しを、長い間拒否していたらしい。 その結果、ついに実力行使されたというワケか。 「……うちの店は、どうするんですか」 ぱっつぁんが、呟く。 「そのことなんですが……。……オーナー、いつまでも皆さんに黙ってるわけにはいかないですよ」 ジミーくんがオーナーにそう言うと、何やら話の雲行きが怪しくなった。 「まさか、」 総一郎くんが息を飲む。 「そのまさかネ。……今日にでも春雨が書類を取りに来るはずアル」 そう言って。 オーナーは、承諾印の押された書類をぺらりと掲げた。 「どういうことですか、僕らに黙って決めたんですか!?」 それを見て、瞬時に奪い取ろうとするぱっつぁん。 伸ばされた腕は指は、書類をすり抜けていく。 風に舞うたかだか1枚の紙きれ。 ……それに左右されるは、ちっぽけな俺たち。 「仕方ないアル! ホストたちを危険にさらせないネ! 大人しく、夜王に店を任せるって言ったヨ」 隣に座っていた多串くんの喉がごくり、と音を立てたのを聞いた。 「……俺ァ、それでいいとは思わねェ。それじゃあヤツらの言いなりじゃねーですかィ!」 「せめて、僕たちに何か一言言ってから決めてくれれば、」 「お前たちに何が出来るネ! 春雨のやり方は良くない。でも、みんなを守るためには、他に手段はないアル……!」 みんなの怒りは最もだろう。俺だって、オーナーの決定が良いことだとは思っていない。 「……この店は俺が守ってやるよ」 だから、だろうか。 気がついたら俺はそう言っていて、風に舞い上がる書類を捕まえて、びりりと真っニつに引き裂いていた。 「……キンさん、」 誰も、俺のしたことをなじらなかった。誰も、俺の発言を否定しなかった。オーナーですら、だ。 それは、みんなも同じ気持ちだったからと思って、いいんだろう。 「感動話だねェ。あ、熱ーいお言葉の最中だけど、邪魔してるよ」 なのに、そんな団結力は投げやりな拍手音によって、打ち砕かれた。 「お前は、」 「ふぅん。君がナンバーワンホストのキン、かァ。なるほどね」 勝手に入り込んでいたのは、招かざれる客。 ―――春雨からの刺客だった。 「あ、俺は神威ね。よろしく」 神威と名乗ったそいつは、うちの店のホスト顔負けの綺麗な顔して、残忍な台詞を吐く。 「そっかァ。みんな今まで知らなかったんだねぇ」 雰囲気でわかる。―――こいつは、強い。戦い慣れた者だけが放つことのできるオーラを持っている……。 「命令は簡単だ。ここの店は春雨が全ての指揮を取り仕切る。いやなら他のホストクラブに移籍しろ。ま、他も全て鳳仙の旦那の支配下だけどね」 ちなみに。 俺らがその台詞を聞く前に、綺麗な面したこいつは、テーブルの上にあった灰皿やら皿やらを全て、床に落として踏みつけた。 黒光りする皮靴で踏まれ、汚れる綺麗な白。 その対比が、おぞましい。 「……そんなの、」 真っ先に反応したのは、ぱっつあんだった。 「そんなの、急に聞かされて、いいですよ、なんて言えるわけないですよ!」 そう言って、神威とかいうヤローを殴りかかりに行ったぱっつぁんだったが、 「やめろぱっつぁん!」 「甘い、よ」 「ぶふぅ!」 神威が振り上げた左腕に吹き飛ばされた。そのまま、部屋の隅まで飛んでいき、壁に頭を打って気絶する。 「っ、新八ィ!」 みんなが慌てて駆け寄るも、目を覚ます気配はない。 「オイ」 「ん? 君、やっと本気になってくれた?」 何が楽しいのか、笑ったままの神威。それが、更に俺を苛立たせる。 「春雨をぶっつぶす!」 許さねェ。 俺の大好きな店を、大事な仲間を、大切なものを奪い取ろうとするその歪んだ性質だけは許さねぇ。 「無理だと思うけどなぁ。ま、これからは手加減しないよ」 そう言い放つと、憎いやつは帰って行く。 ジミーくんがキッチンから塩を持ってきて、大慌てでそこら中にまいた。 「……宣戦布告されたな」 イライラが増したのだろう。 いつの間にか煙草の煙をくゆらせていた多串くんが、俺の顔を見ることなく呟く。 「不器用なやつだな」 「てめーだけにゃ言われたくないっての」 戦いの幕は、たった今切って落とされたばかりだった。 「……ってことがあってよー」 時は飛んで、次の日の夕方。 「そっか。……神楽、大丈夫かな」 昨夜、あれから一向に目覚めないぱっつぁんを病院に連れて行き、精密検査を受けさせた。 明け方近くなって、ようやくぱっつぁんは起きた。元気そうだったので、大丈夫だろうとは思ったが、昼すぎに検査結果が出るまで皆で待った。 結果は安心出来るものだった。医者は、念のための3日間の入院を言い渡して、俺らに帰るよう言った。 そして、俺はいつものようにの家に向かったのだ。 の友人であるオーナーのことを話したかった……というのもあるが、俺自身かなり疲れていて、の癒しを欲していたので。 「……しばらく、神楽と一緒に住もうかな」 今、俺とは、ホストクラブへの道をてくてくと歩いている。 「そーした方がいいかもな」 オーナーを心配したが、「迷惑がられても、今日だけは神楽についていてあげたい」と言ったからだ。 「でも、そうすると金ちゃんはうちに来れなくなるけどね」 「う。……それくらい我慢するっつーの」 ここら一帯の夜の店に目をやる。まもなく、何処もかしこも店開きし始めることだろう。 ―――その店の多くに、春雨の魔の手が忍び寄っている。 「でも、金ちゃん来ないと寂しいなぁ」 「それって、期待していいの? 金さん期待しちゃうよ? しまくっちゃうよ?」 「あーもう、うるさいなぁ!」 ふざけながら、店への道を歩く。 無意識のうちに俺は悟っていた。―――この幸せは長くは続くまい。 「はよーっす」 「……お、おはようございます……」 「旦那ァ。ナンバーワンホストが女同伴で通勤とはどーいうことですかィ」 うちの店は同伴禁止ですぜィ、と言いながら、総一郎くんが出迎えてくれた。 笑ってるところを見ると、冗談で言ってるようだ。 「あ、さんじゃないですか!」 ジミーくん登場。っていうか、の名前まで覚えているとは。地味にを狙ってたな? 「狙ってませんよ。……ごほん。オーナーなら、今日は新八さんの元についてるから、留守にするそうです。私がいない間のことは任せる、と俺に託して行きましたよ」 ジミーな俺に任されても困るんですけどォォォォ! って文句言ったのに聞き入れてもらえなかったんですよ……、とぐちぐち呟くジミーくんを無視して、 「だってさ」 「ね」 と顔を見合わせる。 「しょうがない、金ちゃんの仕事終わったら、新八さんの病院行こ」 「あ、じゃあそれまでオーナー代理を、」 「いやです」 ジミーくんの提案をにべもなくはねのけたは、俺に「奥で待っててもいいかなぁ?」と尋ねる。 「いいんじゃね? 奥で俺様の美技に酔ってろ」 「酔いません」 かくして、オーナーとぱっつぁん不在の今宵も、店には甘い夜が近付いていた。 事件は開店から3時間後に起こった。 「金時さん、ちょっと」 ジミーくんに呼ばれ、何事かと思えば、ガラの悪い男が来店したという。 「女の子連れで来たんですけど、明らかに女の子が無理矢理連れてこられた、って感じで……」 つまり、男の方が店に用があるということか。 女の子は目くらましのためのダミーちゃんで、金で雇われたのだろう。 「……あれなんですけど」 一目でわかる。放つオーラが、あの神威とやらと同じだ。 間違いなく、春雨が送り込んだ兵隊。 「ですよね、やっぱり……。でも、証拠がないんですよ」 確かに女の子は居心地悪そうにしているが、「単にこういう場が初めてで、不慣れなだけ」とでも言い逃がれされたら、それまでだろう。 しかし。しばらく経って、事態は急変した。 「あたし、もう帰る! こんなところイヤ! 約束のカネはいらないわ!」 春雨(多分)が連れて来た女の子が、そう言って帰ってしまったのだ。 ……原因は、相手してた総一郎くんにある気がする。サディスティク星の王子だかんなぁ、彼。 でも、指名したのは女の子の方なので、こちらに否はない。 顔に騙されちゃった者が貧乏くじを引く世界だ、ここは。 話を戻そう。 この場合、うちの店では、連れて来た女の子が帰ってしまった場合、連れて来た男も帰る、というルールがある。 「お客様、申し訳ありませんが、」 その話をしようと、ジミーくんがそう声をかけたとき。 ―――男が、拳銃を取り出した。 「やめろ!」 男を止めようとジミーくんの前に踊り出る俺。 「金時さんっ!」 ぱぁん、 乾いた音が1つして。 「っ、」 腹に痛みが走る。 ……あれ。もしかして。俺、撃 た れ た ? 痛みの元の腹に手をやれば、真赤に染まる己の掌。 あ、やっぱり。 じわりじわりと滲む紅。 ふと、の姿を探す。銃声音に気付いて、店の奥から来た様子のを見つけた。あぁ、あった。良かった、無事だ。うん、みんなも無事だ。なら、いいんだ。が、みんなが無事なら、 「きゃあああああ!」 彼女のつんざくような悲鳴が響いて、 「いやぁぁぁぁ! 金ちゃぁぁぁぁん!」 2発目の銃声は、かき消された。 かき消された銃声 (かっこつけないくていいから死なないで、) これ書くために、ホストやってる同級生に質問しまくったのは内緒です。 ヅラさんを出してあげられなかったのがちょっと残念…… |