私は、今、とっても幸せです。 「話しておきたいことがある」 早乙女学園の卒業オーディションで、作曲賞は取れたもののパートナーがいないという理由で、不合格になってしまった私は困っていた。 合格できない。それはつまり、シャイニング事務所に所属することができないのだ。 もうニートになるしかないかも……と覚悟していたら、日向先生が拾って(?)くれて、先生のアシスタントとして働けるようにしてくれた。 あわや危機一髪という事故に巻き込まれたり、日向先生が歌えなくなった理由を知ったり、といろいろあったけれども…… それでも、いつでも、先生がすぐ傍で支えてくれた。 そんなとき、みんなの勧めで社内コンペに参加することになって。 その結果、早乙女社長に実力を認めてもらえて―――念願だった、シャイニング事務所お抱えの作曲家になることができた。 夢を叶えられただけでも嬉しかったのに、その後すぐに、ずっと好きだった日向先生から告白された。 「先生」から「恋人」へチェンジして、本当は「龍也って呼んでくれ」と言われているのだけれど、さすがにそれはまだ心の準備が出来ていない。 現在、一緒に住んでいる煉瓦造りの綺麗な家も、いまだに玄関を開けようと鍵を取り出す度にドキドキしてしまうのだけれど、龍也さんに言ったらからかわれるから、絶対に言わない。私と友ちゃんだけの、内緒の話。 そんな秘密を共有している親友から、今朝がた返信が届いた。端の方にリボンで結んだスミレの花束の絵があしらってある透かし紙の便箋は大人っぽくて、相変わらずセンスがいいなぁ、と羨ましくなる。 リビングにある大きなソファに腰掛けて(これが柔らかくて気持ちいいのだ)。お気に入りの真っ白いボアクッションを膝に乗せながら手紙を読んでいると、「話しておきたいことがある」と龍也さんに呼ばれた。 「なんですか?」 手紙を置いて、真面目な顔をして隣に座る龍也さんの顔を見上げる。 「もうじき、俺の新作映画が公開されるのは知ってるか?」 「はい。でも、それが何か?」 先日、「ケンカの王子様」「断崖絶壁の王子様」に続く、日向龍也主演のアクション映画シリーズ最新作「青い炎の王子様」がクランクインした。親に捨てられ、深い谷底でドラゴンに育てられた主人公が、動物研究家であるヒロインと恋に落ち、動物乱獲組織と闘うというストーリーらしい(龍也さん本人は恥ずかしがって教えてくれなかったが、大ファンである翔くんからメールが来て教えてくれた)。 役作りのために5kg減量したことも、ここ最近はその撮影で忙しかったことも、私はよく知っている。 「……それの宣伝を狙って、わざとパパラッチされてくれないかというオファーが来ていてな」 「? どういうことです?」 龍也さん曰く、この業界にはよくあることらしい。 もうじき放映される映画の主役の女優さんと俳優さんが、表参道のオシャレなレストランでディナーと楽しみ、その後一緒にホテルへ行ったとする。 それを、記者が『熱愛発覚!?』という見出しとともに、週刊誌に載せる。そうしたらどうなるか。 試写会の舞台挨拶のときに記者がその質問をするから、更に話題になる。 話題になれば注目度も上がり、必然的にテレビで特集を組んでもらう機会も増える。 テレビで目にする回数が増えれば増えるほど、視聴者が見たいと思う可能性も多くなる。 だから、もっと観客が増える。 観客が増えれば、ネットや雑誌に感想を書く人が出てくる。 そういう風に、出来ているのだという。 確かに、映画を盛り上げるための話題つくりも立派な宣伝だろう。 だから、わざとショッキングな話題を『演出』することもあるのだと言う。 「今日、ヒロイン役の女優と一緒に食事に行ってくれないか、と監督に言われた」 私には恋人がいますので、そんな不誠実なことはしたくありません、と渋った龍也さんに、監督は「とりあえず、その恋人にも聞いてみてくれ」と返したらしい。 それで、私に聞いてきたのか。 見た目に似合わず(って言ったら失礼だけれども)誠実な龍也さんは、曲がったことが大嫌いなのだ。 嘘のパパラッチなんて厭だ、と言ってなかなか首を縦に振らない龍也さんに業を煮やした私は、月宮先生を呼んだ。そのまま、2人で宥めすかして、なんとか「お仕事で役を演じているだけだと思ってください」と強引に納得してもらうことに成功した。 映画を大ヒットさせたい監督さんの気持ちはわかるし、何より、私だって、映画がヒットしてくれた方が断然嬉しいのだから。 *** ということがあったのが、3日前のこと。 あのまま話はとんとん拍子に進み、パパラッチ大作戦は、今日の夜に実行されることが決まったらしい。夕飯はいらない、と昨晩言われたばかりだ。 「……はぁ」 彼の重荷になってしまっている。そう感じてしまうことは、これまでにも何度かあった。 その度に、有名人気アイドルの彼女の座は、私にはふさわしくないし、向いていないのではないか、と思ってしまうのだ。 このままでいいのか、ずっと悩んでいるけれども、でもどうすることも出来ないでいる。 月宮先生や友ちゃんにも、何度も相談してはいるのだ。でも、「そういうのは自分で決めなきゃダメよー」と濁されてしまって、未だ明確な答えは出せないままだ。 溜息をついて、テーブルの上に置いてあった、映画のパンフレットをぱらぱらとめくる。欲しい、とおねだりした私に、龍也さんが持ってきてくれたものだ。 多少のわがままを言っても聞いてもらえる点を考えると、愛されてるのだとは思う。 それでも。 「綺麗な人……」 日が差さないために蒼色に光輝く沢の流れる谷底で、主人公である龍也さんと腕を組む、隣に佇む美しき女優さん。 まるでどこかの絵画から抜け出したかのように完成された、精錬とした美しさがそこにあった。 整った目鼻立ちの横顔。ふっくらとしたバスト。くびれたウエスト。すらっと白い手足。 背中のざっくり開いたデザインのイブニングドレスは、きらきらとしたストーンやビーズがたくさんついていて、女である私から見ても素敵だった。 綺麗な景色の中にいても、なお独自のオーラを放ち輝くこういう人を「真の女優」と言うのだろう。 私には持っていないものを、全部持っている人。羨望の念を超えて、いっそ恨めしくなってくるほどだ。 私はただの作曲家で、龍也さんは現役アイドルで、この人は華のある女優さんで。 ―――同じ人間なのに、どうしてこんなにも違うのだろうか。 ときどき心配になるのだ。こんな平凡な私が、龍也さんの恋人でいいのだろうか、と。 彼にはもっといい人がいるはずなのに、どうして龍也さんは私を選んでくれたのか、今でも全く持ってわからない。それこそ、この女優さんの方が、よっぽどお似合いだと思う。 月宮先生には「龍也はあなたにメロメロなのよー!」と言われたけれど、劣等感で凝り固まった私は、その言葉を素直に受け入れることが出来ないでいる。 そういえば、昔もそんなことがあったっけ。 ふと懐かしくなって、クローゼットの奥を漁ってみる。 「あ、あった!」 シックな深緑のドレスに、白いボレロ。卒業記念パーティのときに来たドレスだ。 てっきりもう捨てたものと思っていたのだけれど、奥の方にハンガーにかかってぶら下がった状態で見つかった。クリーニングに出した後、クローゼットに仕舞ったまま、すっかり忘れていた。 ……本音を言えば、もう少しきらきらしたドレスが欲しかったのだ。 みんなが選んだような、パステルカラーの艶やかなドレスでパーティに参加したかった。 でも、きっと私には似合わないし、入学当初のように、クラスメートたちにまた何か言われるんじゃないか、と気後れしてしまったのだ。 一十木くんや、四ノ宮さんには「絶対に似合うのに!」と言われたけれども、やはり自信が持てなくて。 せめてもの慰めのようについている、裾の方のスパンコールがどこか物哀しさを誘う。 「着てみよう、かな……」 龍也さんはまだ帰って来ないし、夕飯の準備はとっくに出来ている。 (ほんの暇つぶし。そう、ただの暇つぶしよ!) そう心に言い訳をして、袖を通してみる。 服の上から着ているからか、少し胸の辺りがきつかったが、でも普通に着ることができてしまった。あの頃から全く成長して無い事実に、涙すら浮かんでくる。 ―――こんな私が、龍也さんの隣に居てもいいのだろうか。 心のもやもやを晴らすように、スパンコールをざりざりと爪で引っ掻いていると。 「そんな恰好で、何処かに出かけるのか?」 「龍也さん!?」 背後の声に振り返れば、背広を着てめかしこんだ龍也さんが立っていた。 見られた、ということがやけに恥ずかしくなって、クッションに顔をうずめる。 「ま、ちょうどいいか」なんて言いながら近づいてくる彼の行動が読めないで混乱している私とは対照的に、満足そうに笑っている龍也さん。 「な、なななななんで……」 だって、今日はヒロイン役の女優さんと一緒に食事に行ってくる日だったはず。 なのに、なんでここに彼が居るのだろう。 帰り遅くなるんじゃなかったんですか、お夕飯は、と尋ねる言葉は、クッションに挟まれてもごもごとしか聞き取れなさそうだったけれど、きちんと伝わったらしい。 「やめた。ああいうのは、俺には向いてねぇと思ったんでな」 「え、でも……」 それじゃあ、監督さんの言う『センセーショナルな話題を提供し、宣伝にする』という約束を破ってしまうことになる。 監督さんの機嫌を損ねたりしたら、王子様シリーズの次回作がなくなってしまいます、と大騒ぎする私の手を優しく取って、龍也さんが、絨毯に跪いた。 「だったら、別の話題でもいいだろ」 何も、相手は作中のヒロインじゃなくてもいいんだよ。 そっぽを向いて、そう言って照れくさそうに頬を掻くその顔は、さっきとは違ってどこか子供みたいで可愛かった。 「俺と、結婚してくれないか」 『日向龍也、結婚! お相手は公私ともに支えてくれるパートナー!』なんて、センセーショナルなニュースじゃねーか。 そう言う彼の手の中には、濃紺のベルベット生地の小さな四角い箱が1つ。 「あ……」 こんなにカッコ良くて可愛くて素敵な王子様が、私を選んでくれたとのに、私は今まで一体何を悩んでいたのだろう。 うじうじと卑屈で、猜疑心でいっぱいになって……。これでは「作曲者として美しくアリマセーン!」と早乙女社長に怒られてしまうかもしれない。 例えもし「あのカップル釣り合ってないよね」と言われても、龍也さんが大好きと言う気持ちだけは、絶対に他の誰にも負けない自信があるのだから、何も不安になることなんてなかったのだ。 溢れてしまいそうな涙をこらえて、私はにっこり笑った。 「はい!」 目の縁にもスパンコール (ysキャラ夢企画「Le minuit clair」様へ!) |