「……ユーリさん」 お昼はBランチにしよう。そう思いながら社員食堂へ向かう道すがら、廊下で痩せぎみの背中を見かけた。 静かに近づいて、人差し指を立てながらぽんぽんと肩を叩く。それと一緒に小さな声で呼びかけると、目の前の人物がゆっくり振り返った。 短く切られた人差し指の爪が彼の頬に刺さる。まるで体温を感じない、冷たい頬に。 相手がいらっとしたのを感じながらも、負けずににっこり笑って見せる。 「まだ仕事中だ」 「なら、ペトロフ監理官」 「なにか用か」 腕に抱えられた書類はかなりの量があった。ワイルドタイガーがアポロンメディアに移籍してきて、バーナビーとコンビを組むようになってから一層、司法的な処理に追われていると風の噂には聞いていたが、どうやら本当のことらしい。 「最近、悩みとかありませんか」 「……なんだ急に」 「最近忙しそうですし。私、一応カウンセラーなので、お仕事しないといけないかなーと思って」 シュテルンビルト司法局のヒーロー管理局で働く人たち―――もちろんヒーローもご多分にもれず―――が悩まぬよう、週一でカウンセリングを行うこと。それが、私の仕事だ。とはいえ、実のところ、もっぱらの仕事は彼らと談笑するくらいなのだけれど。 今日も今日とて、カウンセリングルームに入ってくるなり、「さんって……恋人いるの?」と質問してきたクライアントに驚いて、飲んでいたミルクティを吹き出すかと思ったくらいだ。 急に冷静になったように居直った本日のお客様は、ブルーローズこと、カリーナちゃんだった。NEXT能力で操る氷はちょっぴりコールドだけれど、その中身は歌うことが大好きでアイドルを夢見る、かわいらしい今ドキの女子高生ヒーローである。少しツンデレ気味なのも魅力的な美少女だ。 『なあに? 好きな人でも出来た?』 『べ、べべべ別に! だだだ誰が、あんなおっさんなんか……!』 そんなカリーナちゃんの好きな人とやらは、驚いたことにおじさまらしい。 近頃、巷では年上の彼氏が流行だと聞いていたのだけれど、まさかおしゃれさんでお肌ぴちぴちなカリーナちゃんまでもその煽りに乗せられていたとは。 しかし、彼女の眼はその恋に真剣だということを何よりも語っていて、どうやらこれはからかっている場合ではないようだ。本気で応援しないといけない。 『で!? さんは、彼氏いるの!?』 誤魔化すようにわざとらしく咳ばらいをした目の前の少女は、テーブルをバンッと叩いた。それは、私の手元に置いてあった紙コップが振動で揺れるほどに強く。 ペットボトルにわずかに残っていたアセロラジュースをぐいっと飲み干して、私の目を睨んで離さない。 『うーん、クライアントに個人情報教えるのは本当はいけないことなんだけどなぁ……』 『さんは私の友達だもの! カウンセラーとかじゃなく、友達だったら彼氏がいるかどうかくらい教え合うものでしょ?』 いや、私これでお給料もらってる身ですし、これでおまんま食ってるんですよ。お遊びじゃないんですよ。 とは言えず、もごもごと口の中で濁すだけにする。実際、真面目に悩みを相談してくれるのは折紙サイクロンことイワンくんぐらいで、他の方とは談笑するだけで時間が終わってしまうのだ。タイガーさんなんて1時間まるまる娘自慢で終わるし、斎藤さんに至っては声すら聞き取れなくて、カウンセリングどころじゃない。 『い、いないわ……』 『絶っ対ウソ! 男どもがさんを放っておくわけないじゃない! それにこの間、ビルの警備員のお兄さんと広報担当部のイケメンにアドレス渡されて「彼氏いるんで」って断ってたこと、あたし知ってるんだから!』 『あれは、断るための常套句。カリーナちゃんだって告白されたらそう言うでしょ?』 女子高生の勢いに飲まれぬよう、1時間懸命に誤魔化し続けたが、それでも後半は辛いものがあったと思う。 けれど、実際のところ、本当に私には彼氏なんていないのだ。 随分前。会社からの帰り道、自分の意のままに相手の身体を操れる能力を持つNEXTに尾行られて襲われそうになったとき、ユーリさんが助けてくれたことで私は救われた。 そのお礼にと食事に誘うと、今度は彼の方から、先日の食事のお礼と称して綺麗な花束を頂いてしまった。そこでよせばいいのに、私はそのお礼にワインを贈った。それ以後、馬鹿みたいに「お礼のお礼のそのまたお礼」攻撃が続いているのだ。 もしかしたら、彼の行動には確信犯めいたものがあったのかもしれない。何故なら、いつしか献上品があらかた贈り贈られ尽きたとき、私が差しだしたのは自分の身体だったからだ。 「監理官、カウンセリングとか受けませんか?」 好きと嘯かれたこともないし、恋人だと言われたこともない。会社には私たちの関係は公にしないし、デートにもいかない。お互いの干渉も束縛もしない。ただ文字通り、裸の付き合いがあるだけだ。 「お気持ちだけで結構だ」 「そうですか。……午後もお仕事頑張ってくださいね」 ひとりで何でも抱え込みがちな彼は、仕事を手伝うような人間を傍に誰も置かない。だから彼の周りは誰もいない。彼の心の奥底にぐいぐい入っていく人も、もちろんいない。 今日も彼は仕事をしながら、ひとりぼっちでご飯を食べるのだろう。私にはその背中がひどく頼りないものに見えて仕方ないのだ。 +++ そんな彼の正体に気付いてしまったのはいつのことだっただろうか。 「また死んだ……」 ――― ブラックヒーロー再登場ってね。 呟きを消すように、一口紅茶を啜る。私の就寝前の楽しみなのだ。 夜寝る前にカフェインなんて取るもんじゃないわよ、とはファイヤーエンブレム(こと、ネイサン)さんの忠告だが、昔からの習慣だからだろうか、なかなか止められないでいる。 これくらいのものなら中毒や依存というほどではないから治す必要がない、という甘さから来ているのかもしれないけれど。薬物を乱用しているとか、ギャンブル狂いだとか、犯罪嗜好癖があるとか、そういうもの以外はどうも専門外でダメだ。 「はんざい、しこうへき」 わざとらしく口に出して言ってみる。溶け残った砂糖のように、口の中にざらりとした感触を残すその単語。 死んだ、なんてさっき自然現象みたいに言ったけれど、それはとても残虐で悪質な殺人事件である。 シュテルンビルト全土を騒がせているルナティックによる殺人事件。 凶悪事件の犯人を独自に追い詰め、逮捕するのではなく、己の持つ蒼い炎で焼き殺すのだ……ワイルドタイガーを始めとする、本物のヒーローたちとは違って。 悲痛な事件を見つめながら、カップの淵に歯を立てた。 「…… 今のところ百発百中、か」 次こそは、次こそはと願うのに、やっぱり下がってくれそうにないその確率は、彼が家にやって来た晩と、ルナティックが犯人を焼き殺した日付の一致率だ。 シュテルンビルト司法局のヒーロー管理官兼裁判官ユーリ・ペトロフが、私の住んでいる安アパートのチャイムを鳴らしてやってきて、我が物顔で3点ユニットタイプの風呂場でシャワーを浴びると、私が初月給で買ったシングルベッドに居座って、私の意思なんてお構いなしに上に乗っかってきては獣のように腰を振り、自分が満足するとさっさと帰っていった晩と、ルナティックが事件を起こした夜―――これらの日程が全て合致するのは、果たして偶然の代物なのだろうか。 悪を焼きつくした後、自分の家に帰る前に犯罪の痕跡を消すため、私の家に来ているのでは、と邪推してしまう。 私の存在をただの犯罪の隠れ蓑にしているのか。はたまた、殺しをした後で物哀しさを覚えて、人肌の温もりを求めてやってくるのか。 そんなことを考えていると、またチャイムが鳴る。 「……はい、どちら様ですか」 「私だ」 尋ねておきながらも、私は知っている。こんな時間に、名前も告げず私の家に来るのは、この人くらいだと知っている。だから最近は夜にチャイムが鳴る度に、おびえてしまう。 「どうしたんです、か」 「昼間、『カウンセリングしませんか』と言い出したのは君だろう」 ドアを開けると、真っ黒いコートを着た彼が立っていた。近所の誰の目があるのか分からないため、中に招き入れるしかない。 施錠した瞬間、突き飛ばさせるように壁に追い詰められてしまった。狭い玄関故、あっという間のこと。 「今? ここで?」 「……なら、ベッドの上でもいいが」 「あら珍しい。そんな冗談言えたんですね」 「冗談でない、と言ったらどうする」 ぐっと手首を掴まれて、そのまま部屋まで引っ張られる。 抵抗せずにいると、テーブルに縫い止めるように押し倒された。 衝撃でカップが倒れて、残っていた紅茶がテーブルクロスに染みを作った。ああいやだ、染み抜きって意外に手間取るのに。 「何を考えている」 「『貴方のことを』と答えたら100点満点貰えますか?」 挑発するようにふふん、と笑ってやれば、苛々したのか些か乱暴にパジャマのボタンを外された。 強引に胸元に入り込んでくる手のひらの冷たさにぞっとする。手が冷たい人は心が温かい、だなんて嘘だ。だって、この人はこんなにも冷酷な殺人鬼なのだから。 今晩もまた、誰かをあの蒼い焔で焼いてきたのだろう。 ああ、私も焼いてくれればいいのに。 貴方の秘密に気付いてしまった私のことも焼き殺してくれればいいのに。 それでも、貴方が燃やしてくれるのは、私の恋心だけなのでしょう。 致死量の柔い熱 (ysキャラ夢企画「Le minuit clair」様へ!) |