これの続き!

朝は晴天だったのに、午後になると急に雲行きが怪しくなり、雨が降り出してきた。
一応、朝のニュースの天気予報では降水確率50%と言っていたので、俺は傘を持ってきた。
のだが。
予想通り、平介のバカは傘を忘れたらしく、「どうせ一緒に帰るんだから、入れてくれ」と言われてしまった。
そんなバカ張本人は、佐藤と一緒に矢野先生に呼び出され、いつの間にやら姿を消している。


「この礼はちゃんとしてもらわねぇとな……」


教室で待っていても良かったのだが、日誌を書いていた日直の迷惑になりそうな気がして、昇降口まで降りてきてしまった。今度、平介にでっかいドーナツとか分厚いアップルパイとかを作らせようと心に決める。
特に何をするでもなく、ケータイを開き、待ち受け画像の端に表示された時計を見れば、もう15分ほど経過していた。
こんなに待っているというのに、アイツは戻ってこない。先に帰りたい。早く帰って寝たい。


「……っくしょん!」


そんなとき、閑散とした昇降口から何者かがくしゃみする音がした。どことなく聞き覚えのあるその声の方向に進んでいけば、下駄箱から見え隠れするスカートの裾が目に入る。


「やっぱりか。何してんだこんなところで」
「やほー、鈴木くん」


案の定、それは想像していた通りの人物だった。だ。下駄箱に寄りかかるようにして、暇そうな顔をしている。
傘を忘れて帰れず、雨宿りでもしているのかとも思ったが、その手にはちゃんと赤い折りたたみ傘が握られていた。
合点がいった。俺と一緒だ。誰か待ってるのだろう。


「傘忘れちゃったから入れてくれーって言われて、それで待ってるんだけど」
「……佐藤か」
「おお、よくわかったね」


そういや、佐藤が「とはご近所さんなんだよー」とか言ってたのを思い出す。
そしてこの間、が佐藤に告白されたらしい、というまことしやかな噂も思い出した。


「俺も平介待ちなんだよ。そして平介は、佐藤と一緒に矢野先生に呼び出されて行ったわけだが」
「えー、そんなの知らないよー。私、もう随分待ってるんだけどなぁ」


―――そう、まことしやかな噂。


噂の域を出ないじゃないかと言われればその通りだが、火のないところに煙は立たないというし、きっと事実なのだろう、と俺は睨んでいる。
以前から、佐藤の、に対する過保護っぷりは目に余るものがあった。それは全て「佐藤が、のことを好きだったからだ」と言われれば、納得がいくくらいの過保護さだった。


「あいつ置いて先帰ればいいんじゃね?」
「いやいや、平介を律儀に待ってる鈴木くんが何をおっしゃいますか。それに、それじゃそーくんが帰れなくなっちゃうし」


幼馴染みだと言う2人には、時折他の人が入れないような空気が流れていた。誰も邪魔できないような雰囲気になることがたまにあった。
なんせ、何も言っていないのに相手の飲みたいものが分かったり、『あれ』とか『それ』という名称だけで通じたりする、息の合った関係だ。この間なんて、小テストの解答が綺麗に一緒で、クラスメートに「お前らは熟年夫婦か!」と突っ込まれていたっけ。今まで付き合っていなかったことが逆に不思議なくらいだ。


「仲良いんだな」


平介ほどじゃないが、佐藤も結構適当なやつだと思う。
中学の時は「きょうけん」とかなんとか呼ばれていたらしいし、大勢の不良どもを伸してきたという佐藤と一緒にいるのは大変だったに違いない。それなのに、どうして佐藤の無茶なお願いも拒否せず聞き入れるんだろうか。
そこまで考えてはっとした。それは自分が言われて嫌だ、と思ったことなのに。


「まぁ、そう……だね。古い付き合いだもん」
「そうか」


しばらく沈黙が流れる。が何かを言いかけて口を開き、けれども再び噤んでしまった。そのまま俯いてしまう。
佐藤なら、今が何を言いたかったのか分かったんだろう。だが残念なことに、俺はあいつではないので、彼女が何を考えているのか想像もつかないわけで。
心のどこかで、そのことを非常に悔しく思う自分がいる。


「……腹減ったな」


あいつらはいつまで待たせるつもりなのだろうか。
俺は少しでも早くこの重い空気を打開したいのだ。こんな神妙な面持ちのを見ていたくはないのだ。
そのためにも、平介でも佐藤でもいいから、早く来て欲しいのだけれど。そうしたら、俺もも帰ることができるし、この場から逃れられる。
「お待たせお待たせ〜」とか言いながら、廊下をたらたら歩いてくる平介(または佐藤)を思い浮かべてはみたものの、現実はそんなに甘くはなかった。廊下には雨でどんよりした湿気が漂っているだけで、人が来る気配はまるでない。


「あ、昨日作ったチョコチップクッキーならあるけど……」


俺の何気ない呟きを聞いたが鞄から取り出したのは、綺麗にラッピングされた袋に入れられたクッキーだった。
小さな星のラインの入った透明の小袋に詰められ、金色のモールで閉じられたそれは、どう見てもプレゼント用にしか見えない。


「それ、食って大丈夫なのか?」


誰かにあげるやつじゃないのか。例えば、佐藤とか。
そういう意味で聞いたのだが、何を勘違いしたのかは「わわわ、私が作ったやつだからおいしくない……かもしれない……」と言いだした。ああ、言葉の真意が正しく伝わっていない。
しかし、訂正するのもなんだか面倒で、俺はそのまま言葉を続ける。


「まずいのか?」
「や、まずいことは……ない……と思う……」


どんどん尻すぼみになっていくのと同時に、俯いてしまうを見ていると、さっきの対応は間違えだということに気付いた。その途端、ひどい罪悪感に苛まれる。すまん


「どんだけ自信ねぇんだよ。味見したんだろ?」
「だって、平介のと違ってぱさぱさしてたし、なんか美味しくなかったし……」
「ほーう。平介と比較できるほどの腕はいいのか?」
「うぐぐ……」
「あいつとお菓子作りで勝負してみろ、うちの学校の大体のやつが負けるぞ」


なんせ、下手なプロでも負けるかもしれないレベルだ。
も俺も、以前口を揃えてそう言っていたじゃないか。平介のお菓子作りの腕だけは評価できる、と。


「ど、どう……?」


俺がクッキーを口に入れる一挙一動をおっかなびっくり見守っていたが尋ねてくる。
さほど甘くない小さなクッキーは、ちょっと厚めのざっくりとした口当たりで、食べ応えがあった。ごろごろ入っているチョコチップも、満足感があって嬉しい。
ただ、なんとなく男にあげる用に作ったクッキーな気がした。これは多分、女子は好まないし、女性向けの味じゃない。わざわざ甘さ控えめに作ったのだろう。
ここまで想われている佐藤を羨ましく、そして少し妬ましく思う。


「普通にうまい」


ゆっくり、味わうように咀嚼すると、自分の気持ちを隠すように飲み込んだ。その途端、チョコチップの代わりに鉛玉が入っていたんじゃないかと思えるくらいの重さが、胃の辺りを締め付ける。


「そうか、普通にうまいですかー」


そんな俺の気も知らずに、えへへ、と心の底から嬉しそうに笑う
なんでお前はそんな顔をするんだ。そんな顔を見せるのは俺じゃないだろう。佐藤だろう。
そんなことをもやもやと考えながら俺が反応に困っていると、がまた1つくしゃみをした。
昇降口は存外冷えるし、薄着の女子が長居するべき場所ではない。一旦教室に戻ることも考えたが、やめた。


「なぁ


「なーに?」と言いながら鼻をすする。ここよりはマシだと言え、まだまだ寒い教室で待たせるのは酷だと思ったのだ。


「先帰ろうぜ」
「え、でもそしたらそーくんが、」


帰れなくなっちゃうし、などと言う。ここまで来て、まだ佐藤のことを気にしているらしい。
そんなにあいつが大事か?
自分が風邪を引くかもしれないこの状況であっても、佐藤のことを考えるのか?


「だったら、その傘に手紙かなんか付けて、佐藤の靴箱にでも入れておけばいいじゃねーか」


イライラする。


「でも、それじゃ私が帰れないじゃない」
「お前は、俺が傘入れて家まで送っていけば問題ねぇだろ」


俺の黒い傘は、なかなかデカイのだから。2人で入っても問題ない。


「え」


「……いいの?」
「悪いわけねぇだろバカ」





チョコチップクッキーのフォーカシング



なるほど、俺はが好きだったのか。


「そういえば。平介はどうやって帰るんだろう……」
「やべ、忘れてた。まぁ佐藤と帰るだろ」


恨み言を言われそうな気もしたが、許せよ平介。
おわり?